小分子を用いて生物学的表現型を調節する遺伝生化学は、生体システムを理解し操作するうえで従来の遺伝学に取って代わる魅力的な研究領域となっている。遺伝生化学の技術を使用すれば、望む生物学的表現型を見つけ出すために大規模な化合物ライブラリを迅速にスクリーニングすることができ、これによって選別した化合物を使用して時間や条件を精密に設定しながら標的経路を調節することができる。Angewandte Chemie, International Edition誌の最近の報告によれば、LiuらはWntシグナル伝達経路の新しい小分子アゴニストを見出し、アフリカツメガエルの胚を用いてこの物質の発生学的作用を実証した。
Wntシグナル伝達経路は、細胞の発生、分化および増殖といった細胞-細胞相互作用にかかわる生物学的プロセスに関与している。Wntタンパク質はFrizzledタンパク質(FRP)受容体のリガンドである。正統なWnt経路では、グリコーゲン合成酵素キナーゼ3β(GSK-3β)を介するβカテニンのリン酸化とこれに続くユビキチン介在性変性をWnt-FRP複合体が阻止している。これによりβカテニンは細胞の核に集積し、T細胞因子/リンパ系増強因子(TCF/LEF)との相互作用を介して下流の標的遺伝子を調節している。
この研究でLiuらは、約10万個の含窒素複素環化合物からなるライブラリをスクリーニングすることで、Wnt経路の標的となる下流遺伝子を活性化し得る小分子を探索した。βカテニンとTCFの活性はWnt経路の開始を示す分子インジケーターとしての役目をはたしている。このことを利用して同氏らは、ルシフェラーゼレポーター遺伝子アッセイを使用し、βカテニン応答部位とTCF応答部位でルシフェラーゼ発現を制御して、ライブラリの中から転写活性化を誘発する個々の化合物を見つけ出した。この予備的なスクリーニングによって、ルシフェラーゼ活性を用量依存性に活性化する(EC50=0.7μM)アミノピリミジン誘導体(1)を見出した。この化合物は野生型細胞で遺伝子発現を活性化したが、βカテニン結合部位が欠損したTCFのドミナントネガティブ変異体(TCF-4)を発現する細胞では転写を誘発しなかった。この観察結果に基づいて同氏らは、化合物1による転写活性化にはTCFが必要であると結論した。このアゴニストの効果を引き出している構造的特徴についてさらに検討するために同氏らは、予備的な構造-活性研究を行った。ピリミジンアミノ基側鎖に若干の構造的多様性が容認されたものの、最適な活性のためにはC-6位に小さいアリル基が必要であった。
同氏らは、Wnt活性化の遺伝生化学的制御がin vivo系にも適用できるかどうか判断するために、アフリカツメガエルの胚を用いて化合物1の作用を検討した(図1)。未処理の胚は、嚢胚形成からオタマジャクシの段階を経て正常に発達した。しかし、化合物1で処理した胚はすべて表現型が変化し、頭部が小さく、眼が小型化するか欠損していた。これらの発生学的特徴の変化は、Wntの過剰発現で観察される表現型に酷似していた。
Liuらのこの遺伝生化学的研究は、Wntシグナル伝達とアフリカツメガエルの発生を効果的に阻害する小分子を見出したものであった。GSK-3βキナーゼを標的としてWntシグナル伝達を阻害する物質は、これまでいくつか報告されている。今回の研究では、Liuらは化合物1がこのキナーゼの阻害物質ではないことを示している。今後、この化合物の標的を検証する研究が待たれるが、同氏らが行ったスクリーニング法は、小分子アゴニストによるWnt経路の調節を検討する新たな方法を提供するものと考えられる。