ミトコンドリア病
古賀 靖敏氏
掲載
ミトコンドリア病は酸化的リン酸化異常を特徴とする遺伝性疾患の総称で、ミトコンドリアの構造タンパク質または機能に関わるタンパク質をコードする核DNA(nDNA)およびミトコンドリアDNA(mtDNA)上の遺伝子の変異が原因と考えられている。… 続き
―― 今回のPrimer「Mitochondrial diseases(ミトコンドリア病)」について、インパクトはどこにあるとお考えでしょうか?
これまでのミトコンドリア病に関する総説や臨床研究の原著論文を網羅的に収集・精査し、世界を牽引する欧米日の第一線の研究者が協働して執筆した点です。ミトコンドリア病に関する概念、疫学、臨床的・遺伝的な多様性、診断のためのアルゴリズム、標準治療、新治療としての核移植、現行の治験情報などを網羅した、現時点での最高の総説になったと自負しています。ミトコンドリア病に関する最新の、あるいは最重要の論文はすべて引用文献として収録されており、ミトコンドリア病の専門家でなくても最新の知識が得られるようになっています。
―― どのような新たな知見や研究成果が紹介されているのでしょうか?
ミトコンドリア病は、臨床的・遺伝的に非常に多様性に富んだ疾患群の総称です。今回の総説では、NGS(次世代シークエンサー)の登場により明らかになったさまざまな原因遺伝子、新たなバイオマーカー(GDF15)にもとづく診断アルゴリズムなどが図表を用いて示されています。未だに治療適応薬の開発が成功していない状況にありますが、治療適応の獲得に向けて世界で実施されているすべての治験研究も紹介しています。さらに、患者が健常児を設けるための新技術として、核移植法についても紹介しています。
―― 診断、治療、予防等にどのように生かせるとお考えでしょうか?
診断においては、診断のアルゴリズムのトップに提示されたバイオマーカー(GDF15)測定により、診断の精度を上げることができると思います。このバイオマーカーは過去最高の感度と特異性をもつもので、私と東京都健康長寿医療センターの田中雅嗣部長が共同で開発したものです。現在、日米欧において特許申請(PCT国際出願から指定国移行手続き)を行い、米国・日本での特許権の権利化を進めています。従来は、臨床的にミトコンドリア症が疑われても確定的な検査法がありませんでしたが、GDF15マーカーによって確実に診断できる検査法が確立されれば、診断不可能だった症例が容易に診断可能になるでしょう。
GDF15の有用性はこれまでにも認知されていましたが、測定はELISA法による研究室レベルのものしかありませんでした。したがって大量の検体処理は不可能で、国内での臨床家向けの測定サービスは久留米大学医学部小児科のみが行っていました。現在は、私が研究開発代表者を務める「GDF15測定を用いた一般検査薬開発(日本医療研究開発機構の研究課題の一環)」を国内企業と共同で進めており、2017年度を目途に薬価収載することを目指しています。実現すれば、大病院であれば世界中どこでも院内検査室において大量の検体が容易に測定可能となり、診断がより迅速になるでしょう。そのなかには、これまで診断不可能だった症例も多く加わると思われます。
早期に診断がつくことで、より早期に投薬等の治療をはじめられ、結果的に予後の改善にもつながるはずです。従来は、診断がついた時には患者がすでに死亡している、症状が進行して寝たきりに近い状態になっている、といったことが多く、治療時期を失する例が多くありました。福利厚生のみならず、医療費の削減にもつながると期待できます。
―― 臨床医にとってのメリットとは? ご自身の経験を交えてお話しください。
これまではミトコンドリア病を疑う目安として、乳酸の高値をよりどころにするのが一般的で、評価が難しい場合が少なくありませんでした。たとえば、血管が細い新生児や乳児などの場合、採血時の駆血により嫌気性解糖が促進されてしまい、二次的な(医原性)高乳酸血症が多くみられました。15分程度の駆血時間でも乳酸値は最高で3mM程度まで上昇し、ミトコンドリア病でなくても高乳酸血症と診断されてしまうことがしばしばあったのです。
また、一部の先天代謝異常症(有機酸血症や糖原病)でも、二次性の高乳酸血症がみられ、乳酸値のみではミトコンドリア病との鑑別が困難でした。その点、GDF15測定を用いれば、二次性の高乳酸血症が認められてもGDF15値は正常なので鑑別が容易です。また、Leigh脳症でみられるような重症例では、寝たきりになる頃には乳酸値が正常値を示すことが多く、やはり乳酸値は重症度の指標にはなり得ないといえます。GDF15測定は診断だけでなく、重症度の指標にも利用できると考えられます。
―― 残された謎、解明すべき病態等はございますか?
NGSにより原因遺伝子の同定が飛躍的に向上した今日でも、ミトコンドリア内の電子伝達系酵素活性異常を示す患者の約30%で原因遺伝子が見つかっていません。つまり、未知の遺伝子異常がまだまだ存在すると考えられ、早急に明らかにする必要があります。
治療においては、根本治療法が開発されていないことが問題です。患者が健常児を設けるための核移植も模索されていますが、日本では不可能な状況です。医療技術的には十分なものの、核移植を実施するために必要な倫理背景、世論の熟成、法的整備(インフラ整備)などが全く不十分だからです。核移植を認めない社会環境は日本独特の文化に起因するのかもしれませんが、このままではミトコンドリア病領域において世界の後進国になってしまうと懸念されます。
―― ミトコンドリア病領域や若手臨床医に対しての思いをお伺いできますか?
稀少疾病で難病のミトコンドリア病領域には、基礎研究者も専門医も少なく、進歩がままならない状況で病態解明も治療法開発も進んでいません。多くの若手の研究者や医師の参加をお待ちしています。他のメジャーな疾患領域とくらべると、この分野のオーソリテイーになるのは比較的容易かと思います。臨床研究の成果が患者の福利厚生に直結する領域でもあり、社会貢献できる点も魅力です。私自身は、多くの患者を救えるような時代が来ることを願って努力を重ねています。
聞き手は、西村尚子(サイエンスライター)。
Nature Reviews Disease Primers 掲載論文
ミトコンドリア病
Nature Reviews Disease Primers 2 Article number: 16080 (2016) doi:10.1038/nrdp.2016.80
Author Profile
古賀 靖敏
ミトコンドリア病の分子病態および治療法開発がライフワーク。ミトコンドリア病で最も多い病型(MELAS)に対するL-アルギニン療法の開発者として特許取得。2016年11月7日に世界初の治療適応症獲得のために(独)医薬品医療機器総合機構(PMDA)に承認前相談を実施。現在は国立研究開発法人 日本医療研究開発機構(AMED)の援助を受け、First-in-humanであるミトコンドリア病に対するピルビン酸治療の創薬研究(MELASの治験およびLeigh脳症の治験)を行っている。また、ミトコンドリア病における新規バイオマーカーGDF15の発見・共同開発で国内・国際特許申請、指定国移行申請中。国内医薬品開発メーカーと共同で体外診断薬開発しており、2017年度の薬価収載を目指している。
1984年3月 | 久留米大学 大学院医学研究科 卒業 |
1986年7月 | 国立精神神経センター神経研究所 流動研究員 |
1989年4月 | コロンビア大学医学部神経内科 米国筋ジストロフィー協会ポストドクトラルフェロー |
1993年7月 | コロンビア大学医学部神経内科 准教授 (ニューヨーク医学会デービッド・ワーフ—ルドフェロー) |
1994年4月 | 久留米大学医学部 講師 |
2001年10月 | 久留米大学医学部 準教授 |
2005年3月 | 久留米大学医学部 教授、現在に至る |
2010年11月 | アジアミトコンドリア学会副会長 |
2013年11月 | 日本ミトコンドリア学会理事長 |