ケイ素化学工業が直面するヒドロシリル化反応の課題への挑戦 ~シランカップリング剤原料の効率合成~
中島 裕美子 / 産業技術総合研究所
Chemistry Community Blog: A better catalyst for the silicon industry
An interview with Dr. Yumiko Nakajima about her recent paper in Communications Chemistry
2021年5月に、Communications Chemistry に研究成果を出版された産業技術総合研究所の中島裕美子氏に、本研究成果の背景、今後、産業応用に向けた期待と構想、本誌での出版経験などさまざまな質問にお答えいただきました。
―― 専門分野の研究背景を簡単に説明してください。
中島氏: 私はこれまで、金属錯体触媒の開発に取り組んできました。金属錯体触媒は、金属と配位子の組み合わせを適切に選択することで、その反応性を緻密に制御することが可能です。この特徴を生かせば、医薬品や電子材料、合成繊維やプラスチックなど、身の回りで活躍する様々な化成品の効率合成が可能となります。したがって、錯体触媒を用いた精密合成法は、現代の化学産業において不可欠な技術といえます。
―― 本論文の研究はどんな研究で、どのようにして行われたのですか?
中島氏: 有機ケイ素材料の一つであるシランカップリング剤は、ガラス繊維や二酸化ケイ素(SiO2)といった無機材料と樹脂やゴムなどの有機材料の両者と結合することが可能です。この性質を生かし、近年はエコタイヤや半導体封止樹脂、繊維強化プラスチックなどの高機能複合材料に広く利用されています。今回開発した塩化アリルの選択的ヒドロシリル化反応により生成するクロロプロピルシランは、様々なシランカップリング剤合成の基幹物質として、ケイ素化学産業において極めて重要な化合物です。クロロプロピルシランは、従来法では白金やイリジウム錯体触媒を用いた塩化アリルのヒドロシリル化反応により合成されていますが、この反応では、20-30%程度の副生成物が生成します。我々のチームでは、新しくフッ素置換基を有する二座キレートホスフィン配位子を持つロジウム錯体を触媒とすることで、副生成物の生成経路を抑制し、塩化アリルのヒドロシリル化を99%以上の選択性で達成することに成功しました。
―― 高い選択性の反応を達成することで精製工程を簡略化するとともに、卑金属を有効利用できると更なるコストダウンを実現できそうです。もし関連する今後の展開や可能性などありましたらにお聞かせください。
中島氏: 本反応に限らず、ヒドロシリル化触媒を安価な卑金属錯体触媒に代替することは、ケイ素化学産業界に共通する大きな課題です。我々の研究チームは、今後も継続して、選択的なヒドロシリル化反応を達成する卑金属錯体触媒の開発に取り組んでいきます。
―― ポリシロキサンなど高分子化合物の修飾に有効利用できると応用範囲が大きく拡がると思いました。例えば、ポリヒドロメチルシロキサンの側鎖を高密度に修飾するなど高分子化合物の反応に利用する展開も検討されているのでしょうか?
中島氏: ご指摘の通りです。シロキサンの精密合成に関しては、いくつか論文発表をしています。また、ポリシロキサンの修飾に関する研究も最近着手しました。皆様に新しい研究成果をお届けできるよう、さらに研究を進めたいと思います。
―― この技術が私たちの日常生活に将来的にどのような影響を与えると思いますか?
中島氏: 新しく開発したプロセスでは、シランカップリング剤原料であるクロロプロピルシランを実験室レベルで99%以上の選択性で単一に合成することができます。この結果、副生成物の精製工程を大幅に簡略化できるため、さまざまなシランカップリング剤を安価に供給することが可能となります。これにより、エコタイヤや半導体封止樹脂、FRPといった高機能複合材料を安価に製造できるようになると期待できます。
―― この研究成果と産業界のニーズをどのように橋渡ししていくかについて、今後の構想をお聞かせください。また、将来の夢についても聞かせてください。
中島氏: まずは、本論文の発表をきっかけに、我々のヒドロシリル化触媒開発の技術を知っていただくことが第一歩です。ご興味を頂きました企業様と連携し、さらに触媒に改良かさね、技術の社会実装を図ることで、最終的には身の回りの有機ケイ素材料の高機能化、および低価格化に貢献できればと考えています。
―― Communications Chemistry で研究成果を出版しようと思ったきっかけ、投稿してから論文が掲載されるまでの流れとその際の印象、および出版後の周囲からの評価やインパクトなどを教えてください。
中島氏: 本研究は、「有機ケイ素原料合成プロセスにおいて長く重要視されてきた課題に、学術的観点から切り込み、ケイ素化学産業にブレイクスルーをもたらしたい」、という想いで取り組んできた課題です。産学官にまたがる、沢山の方々に成果を知って頂くために、Open Access journalであるCommunications Chemistry で研究成果を出版しようと決めました。査読過程では、有意義な意見を多数いただき、論文の質が向上されたことは間違いありません。また、本成果を論文発表と同時に所属機関においてプレス発表をした関係で、エディターおよびエディトリアルオフィスの方々に、多大のご尽力を頂きました。特に、4月および5月は、欧州および日本の大型連休がある関係で、日程調整がとても難航しましたが、とても親切にかつ迅速にご対応いただき、スムーズに発表までこぎつけることができました。
―― どのようなことをしているときに研究テーマを思いつきますか?または、新しい研究テーマを企画するために日々心掛けていることがありましたら教えてください。
中島氏: 分野を問わず、色々な話題に積極的に触れるように心がけています。
―― この分野で研究を始めようとしている若い研究者へのメッセージをお願いします。
中島氏: 低炭素、資源循環を実現する社会の構築など、我々が今まさに直面する社会課題の解決には、新しい触媒技術の開発は欠かせません。より良い社会の実現に向けて、皆で力をあわせることが必要です。
―― 研究者以外の方々に向けたメッセージをお願いします。
中島氏: 触媒は、実際の生活で目にする機会はあまりありませんが、身の回りに存在する様々な化成品の製造に必要不可欠な技術です。本記事が、陰で活躍する触媒を少しでも知る機会となればうれしいです。
―― 趣味や特技について教えてください。また、趣味や特技が自身の研究に活かされた体験談がありましたらお聞かせください。
中島氏: 趣味はピアノとスキーです。どちらもこつこつ練習を積み重ねることが大事ですが、研究にも少なからず通じるものがあるかもしれません。
取材:本多智(Communications Chemistry 編集委員)
この作品はクリエイティブ・コモンズ表示4.0国際ライセンスの下に提供されています。
Communications Chemistry 掲載論文
Article: トリクロロシランによる塩化アリルの選択的ヒドロシリル化反応
Communications Chemistry 4 Article number: 63 (2021) doi:10.1038/s42004-021-00502-5 | Published: 11 May 2021
Author Profile
中島 裕美子(なかじま ゆみこ)
産業技術総合研究所・触媒化学融合研究センター・ケイ素化学チーム
経歴:
2005年に東京工業大学大学院理工学研究科で学位取得後、アーヘン工科大学(於ドイツ)でフンボルト財団博士研究員として2年間、その後理化学研究所で基礎化学特別研究員として1年間希土類金属錯体触媒の開発研究に従事した。2008年から京都大学化学研究所で5年間助教として遷移金属錯体触媒の精密設計に関する研究に従事した後、2013年に産業技術総合研究所に異動し、有機ケイ素化合物の合成に関わる錯体触媒の開発を推進する。
モットー:
継続は力なり
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