科学はみんなのすぐそばに
東京学芸大学附属高等学校は、文部科学省のSSH(スーパーサイエンスハイスクール)に指定されており、高度な科学・技術を基盤とする国際社会で力を発揮する人材の育成を目指している。その一貫として月1回探究活動に取り組むための学校設定科目「SSH探究」を設定しており、その中で外部講師による講演を行い、視野の広い思考力を培っている。今回、Nature ダイジェスト 編集部、宇津木光代マネージングエディターが講師に招かれ、最新トピックを交えながら、身近な科学、科学にまつわる問題をテーマに講演を行った。
最新トピック——こんなことも科学
東京学芸大学附属高等学校は、学校全体でSSHを推進しており、今回の聴衆は、1年生全体。理系だけでなく、文系志望の生徒もいるが、生徒たちは全員、2年次に「探究」という科学研究を行うことになる。一口に科学といっても、いろいろな分野がある。大別すると、法律学や経済学、歴史学、哲学などの人文科学、物理学や医学、生物学、化学などの自然科学になるが、数学や心理学のようにその両面を持つものもあると宇津木マネージングエディター(以下、ME)は言う。実際、「探究」では、自然科学だけでなく、人文科学も研究対象となる。
そんな生徒たちに、宇津木MEは、Nature ダイジェスト を紹介。Nature ダイジェスト は、Nature に掲載されたニュースから、興味深い科学記事や社会に影響を与える重要な記事を厳選して日本語で掲載している。宇津木MEは、Nature ダイジェスト に掲載された最新の科学の話題を、動画を用いて分かりやすく解説した。
まずは、地球に最も近い太陽系外地球型惑星の発見、人工知能による治療候補薬の検索や画像診断、ミトコンドリア置換による疾患の予防、免疫機構を利用したがん治療法などを紹介。だが、こうした小難しいものだけが研究の対象ではない。テーマは身近なところにたくさんあり、そこから「面白い」研究に発展するのだと宇津木MEは話す。例えば、「靴ひもがほどける仕組み」。研究チームによると、歩行中に靴ひもにかかる衝撃と加速度は、アポロ宇宙船が地球の大気圏に再突入したときに等しいという。また、ブンブンごまを遠心分離機の代わりに使って、資金や電力が不足している発展途上国で血中のマラリア原虫を分離しようという研究も紹介。研究チームは改良型ブンブンごまで、1分間に12万5000回転というギネス記録を達成。これを15分間回し続けて、マラリア原虫を分離できた。こうした身近な科学は、生徒たちの関心を集めたようだ。講演後の感想では、「科学は難しいし、よく分からないテーマばかりだと思っていたが、靴ひもなどの話を聞いて、科学を身近に感じ、興味が持てるようになった」という生徒が多く見られた。今回の大きな収穫の1つといえよう。
研究の課題——費用・時間・倫理
次に宇津木MEは、研究には莫大なお金と時間がかかることを話した。創薬では、数々の試験を経て市場に出るまで9~17年、開発費用は200億~300億円かかる。前のセクションで紹介した免疫機構を使ったがん治療の費用は、5000万円以上かかるという。生徒たちからは思わずため息が漏れた。宇宙や物理研究も同様だ。先日使命を終えた土星探査機カッシーニは、20年前に打ち上げられ、13年間の観測でさまざまな成果を上げたが、かかった費用は3500億円。今年のノーベル物理学賞を受賞した重力波の観測は、アインシュタインの予測から100年後であり、観測装置LIGOの総予算は1000億円だ。だが、研究にはそれだけのお金と時間をかける価値があるのだと宇津木MEは話す。
続いて宇津木MEは研究倫理へと話を進めた。まず、合成生物学(細胞を人工的に合成して物質を作らせることが可能)や今話題のゲノム編集(任意の遺伝子を自在に改変できる技術)について有用性を解説。一方で、合成生物によって安易に違法な物質が作られたり、遺伝子改変された生物が自然界に放たれたりすることの危険性や、胚にゲノム編集を行うことの生命倫理上の問題について言及した。
さらに軍事研究についても触れた。1948年、世界科学者労働者連盟が採択した「科学者憲章」は、戦争準備や大量破壊兵器開発の禁止と阻止を訴えており、日本でも今年3月、日本学術会議が軍事研究は行わないという声明を発表していると話した。
講演の最後、宇津木MEはこう締めくくった。「人類存続のためには、科学の力で問題を解決していく必要があります。未来を切り開くブレークスルーのヒントは、意外と身近なところに転がっているかもしれません」。
生徒たちは何を感じただろう
こうした講演の質疑応答では、日本人は躊躇(ちゅうちょ)しがちで、司会者が何度も促してようやく質問が出てくることが多い。だが、生徒たちからは、次から次へと手が挙がり、鋭い質問がたくさん飛び出した。こうした積極的な姿勢は、グローバルリーダーに不可欠で、将来が頼もしい。さらに、講演後に提出された感想も、びっしりと書き込まれており、今回の講演に対する関心の高さをうかがい知れる。
まず感じたのは、軍事研究について関心が高いことだ。質疑応答では、「正当防衛としての科学技術の使用は善か悪か?」「世論が核兵器使用を支持したらどうなるの?」「科学の善悪の基準は何か?境界線は何か?」といった質問が出た。先頃、国連で採択された「核兵器禁止条約」についての議論にも通じるものであり、難しい問題だ。提出された感想からも、この問題に真摯(しんし)に取り組もうとする生徒の心が読み取れた。
もう1つ、多くの生徒の興味を引いたのが、人工知能の利用だ。将来的に人工知能が発達して、仕事を奪われたり、制御不能になったりするのではないかと危惧していた。一方で、講演後の感想では、人力では膨大な時間がかかることを人工知能に任せられるので、研究を発展させるべきだと思うという声も聞かれた。
また、「リケジョ」で出版社に勤める宇津木MEの経歴を考慮した、編集者や研究者、働く女性などのキャリアや、ネット記事との差別化についても質問があった。そのほか、基礎研究の意義や頭脳流失など、質問は講演内容にとどまらず、多岐に及んだ。
Nature ダイジェスト にできること
講演後、主催した、東京学芸大附属高校の理科(生物)教員、内山正登(うちやままさと)さんにお話を伺った。
―― なぜ、今回の講演を企画されたのですか?
内山氏: 当校では1年生を対象に、科学技術に触れ、幅広い知識を得ることを目的として、月1回土曜日に「探究授業」を行っています。これまで大学教授などの研究者を招いてきましたが、研究者の場合、内容が難しくなってしまいがちです。私としては、もっと分かりやすい内容で、科学は身近なものだということを生徒に伝えたいと思ったのです。当校ではNature ダイジェスト を定期購読しており、そのご縁で今回の講演を依頼しました。
―― 定期購読を始めたきっかけは?
内山氏: Nature ダイジェスト は、最先端の研究成果や政策などが日本語で書かれており、以前から少しでも授業に取り入れたいと思っていました。また、国際的にどのように情勢が変化しているのかを経時的にきちんと把握したいと思い、定期購読を開始したのです。
―― 実際にNature ダイジェスト を授業に取り入れられているのでしょうか?
内山氏: 基本的には、話題提供として利用しています。もう一歩踏み込んで、ディスカッションできるようにしたいとは思っていますが……。しかし、教材として使うには工夫が必要ですね。今は、こちらで「かみ砕いて」利用しています。
―― 「探究」にも利用可能でしょうか?
内山氏: 探究活動での評価がAO入試や推薦入試に関係してくるので、利用していきたいですね。ただ、Nature ダイジェスト の記事は最新成果に関するものが多いので、そのものを題材にするというより、研究の最先端を知り、そこから興味を持って進めるという形になるでしょう。
―― 最後に、Nature ダイジェスト を今後も利用したいですか?
内山氏: はい。まだ、導入にしか使えていないので、もう少し授業に落とし込んでいきたいですね。今後、入試改革により「考える」ということが増えてくると思います。その素材として使うことも考えています。
―― ありがとうございました。
取材を終えて
今回の講演でとにかく驚いたのは、生徒の積極性。特に、提起されている問題をきちんと考えていることだ。自ら考えることが重視されている今、こうした高校生がいることはなんともうれしいことだ。感想に「Nature ダイジェスト を読んでみようと思う」と書いている生徒もいた。今回の講演を通じて、「科学」を少しでも面白いと思ってもらえたことは大きな成果だったと思う。日本の将来は、科学・技術分野の発展なくしては、語れないのだから。
田中明美(サイエンスライター)