SARS-CoV-2変異株と闘うための単一ドメイン抗体
重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2(SARS-CoV-2)の変異株の出現は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19;SARS-CoV-2が引き起こす感染症)のパンデミック(世界的大流行)を制御する取り組みにどのような影響を及ぼすだろうか? 次々と出現する変異株の脅威により、進化を続けるコロナウイルスと闘うためのワクチン接種や治療選択肢に注目が集まっている。そうした中、国立衛生研究所(NIH)国立関節炎・骨格筋・皮膚疾患研究所(米国メリーランド州ベセスダ)のJianliang Xuら1は、ラクダ科動物(ラクダやラマを含む動物群)が産生する「ナノボディ」(VHH領域としても知られる)と呼ばれる抗体に類似した抗体を産生できる遺伝子改変マウスを開発したことを、Nature 2021年7月8日号278ページで報告している。ナノボディとは、単一の小さなタンパク質ドメインを用いて標的抗原を認識する抗体で、この遺伝子改変マウスに、SARS-CoV-2スパイクタンパク質由来のタンパク質断片などを基盤とするワクチンを接種すると、抗SARS-CoV-2ナノボディが産生された。COVID-19変異株は、治療薬として開発された多くの通常の抗体を回避するが、こうして産生されたナノボディは、変異株によるCOVID-19の治療薬として非常に有効な可能性がある。
ヒトやマウスが産生する抗体など、通常の抗体は、重(H)鎖と軽(L)鎖という2種類のタンパク質で構成されていて、2つの可変(V)領域(VHおよびVL)によって、疾患を引き起こす病原体由来のタンパク質断片などの抗原を認識する(図1)。対照的に、ラクダ科動物や軟骨魚類(サメなど)が産生する抗体には、重鎖のみの構造で、単一の可変領域であるVHH領域(ナノボディ)によって抗原を認識するものがある。ナノボディの利点の1つは、小さいことであり、組織内に入って、通常の抗体が一般に接近できないエピトープ(抗原内で抗体が結合する部位)を認識できることである。
ナノボディは、一般的に極めて安定で、可溶性であり、モジュールとして機能する性質を持つため、ナノボディ単独あるいはさまざまな様式で(例えば、防御応答を促進するヒト抗体のFc領域2との融合タンパク質として)容易に発現させることが可能である。これらの特徴から、ナノボディを基盤とする治療薬は、従来のモノクローナル抗体(重鎖と軽鎖から構成される抗体で、特定のアミノ酸配列を持つので、抗原特異性がある)に代わる有望な治療薬になる(2019年4月号「1つの抗体で全ての型のインフルエンザと闘う」参照)。しかし、米国食品医薬品局(FDA)によって2021年には100番目のモノクローナル抗体治療薬が承認されているのに3、ナノボディを基盤とする治療薬で臨床使用が承認されたものは現時点で1つだけである4。
現在、COVID-19の治療薬として開発が進んでいるヒトモノクローナル抗体(go.nature.com/3xt9ku2参照)は、中和抗体と呼ばれるタイプのみである。ウイルスの侵入を阻止するこのような抗体のほとんどは、パンデミックの第1波で感染した人の抗体産生細胞から得られていて、SARS-CoV-2のスパイクタンパク質の受容体結合ドメイン(RBD)を標的としている。SARS-CoV-2は、このRBDドメインを用いて細胞の受容体に結合することで、細胞に侵入する5。ヒトモノクローナル抗体の臨床開発が非常によく行われているのは、特異性が高く、製造が容易で、ヒト免疫系と協調して機能し、ヒト免疫系に十分に許容されるためである6。しかし、SARS-CoV-2などの進化を続けるヒト呼吸器ウイルスに対処するため、ナノボディを基盤とする代替治療薬の開発が強力に支持されている。
SARS-CoV-2のヒトへの感染が初めて確認されてから1年以上経過しており、このウイルスに対するヒト集団としての中和抗体応答が、スパイクタンパク質のRBDへの強い選択圧となっている。実際、パンデミックの第2波と第3波で優勢になったSARS-CoV-2株ではアミノ酸残基の変化は2個または3個のみであったが、これは第1波の際に得られた抗体による中和に対して抵抗性がかなり高まるのに十分であったことが、COVID-19に感染した人から得られた回復期血清として知られる血液試料の評価によって明らかになった7。
従って、パンデミックの第1波で生じた抗体による応答の利用を目指した、モノクローナル抗体による治療は、すぐに効かなくなるかもしれない。一方、中和ナノボディが認識する、スパイクタンパク質RBD上のエピトープは、ヒト抗体が認識するエピトープとは異なっているため、選択圧下にはない。そのため中和ナノボディは、SARS-CoV-2変異株が出現した際に迅速に無効化されることのない、COVID-19の抗ウイルス治療薬になる可能性がある。広域中和ナノボディ(スパイクタンパク質の進化的に保存されたエピトープを認識するナノボディ)は、今後、パンデミックを引き起こす可能性のある他のコロナウイルスに対してさえも、有用な可能性がある。
ナノボディの小さくて可溶性という性質は、安価に製造できることに加え、吸入により気道への直接投与が容易であるため、ウイルスの複製が最初に起こる重要な部位に送達できることを意味する。SARS-CoV-2を標的とする中和ナノボディのエーロゾル(エアロゾル)を鼻腔内へ送達する手法についてハムスターで評価した研究8では、ナノボディがハムスターの気道全体に効果的に沈着したこと、また、この治療によってウイルスのレベルが顕著に低下したことが報告された。ナノボディによる治療は、急性感染が起こった人に短期間の投与を一度だけ行うということであれば、ナノボディの有効性を損なう、ナノボディ自体に対する強力な免疫応答は起こらないと考えられる。このような免疫応答の問題は、一般に、抗体を長期にわたって繰り返し投与する必要がある疾患の治療のために開発されたモノクローナル抗体薬で、懸念事項となる。
ナノボディの臨床利用には、(ラクダ科動物由来であるために生じる)免疫応答など、多少の躊躇があるが、多くの研究から、ラクダ科動物にスパイクタンパク質に基づくSARS-CoV-2ワクチンを接種することで、SARS-CoV-2を強力に中和するナノボディを誘導できることが分かっている9–13。今回Xuらは、重鎖抗体を産生する「ナノマウス」の作製により、ナノボディ開発を前に進める方法を示した。この手法による系では、ナノボディの発見がこれまでよりも簡単で、迅速、安価になる。マウスを飼育する実験施設は、ラクダ科動物の飼育ほど費用がかからず、普及もしている。また、マウスの免疫系はよく解明されていて、細胞選別に必要な高品質ツールなどは容易に利用可能である。さらに、マウスへの免疫感作によるナノボディの産生は、大動物モデルへの感作に比べて短い期間で達成可能だと考えられる。このことは、新たなパンデミックに迅速な対応が求められる際に、重視すべき事項である。
このようなナノマウスを作製するためにXuらは、アルパカ、ヒトコブラクダ、フタコブラクダに由来する計30個の重鎖V遺伝子から構成される「VHHカセット」を作製し、これを、マウスゲノムDNAの重鎖可変領域(V)遺伝子の全てを含む大きな領域と置換した。VHHカセットの各遺伝子にはマウスの調節DNA配列が組み込んであり、マウス重鎖D遺伝子およびJ遺伝子に通常通りに連結されて(組換えと呼ばれる過程を介する)、完全なVHH遺伝子を作ることができる。このV遺伝子にはマウスのプロモーターDNA配列も組み込まれているので、VHH遺伝子はマウスの抗体産生B細胞で発現が可能である。実際に、発生中の各B細胞では、単一のラクダ科V遺伝子、マウスD遺伝子、マウスJ遺伝子が再連結されて、重鎖抗体としてさまざまなVHH遺伝子配列を発現するB細胞集団が生じた。Xuらは、これらのB細胞が、免疫感作に正常に応答でき、抗原に応答する抗体の有効性や特異性を高める過程(親和性成熟と呼ばれる)を経ることを実証した。
次にXuらは、SARS-CoV-2のスパイクタンパク質やRBDで、3匹のナノマウスと1頭のラマに免疫感作を行った。その結果、両方の動物モデルで中和ナノボディが産生されたことが分かった。これらのナノボディは、縦列に3コピー並んだナノボディがヒト抗体のFc領域に融合された形で発現するように設計されている(図1)。Fc領域は、通常の抗体の重要な特徴で、これによって抗体は体内を循環でき、抗体寿命が向上し、免疫系の他の構成要素との相互作用が促進される。この縦列ナノボディを用いるタイプの抗体は、抗原への結合を促進するのに役立つと考えられる。Xuらの証拠から、このようなナノボディを含んだ改変抗体は、調べたSARS-CoV-2の懸念される変異株(VOC;RBDに変異を持つウイルス株で、パンデミックの第2波や第3波と関連がある)全てを強力に中和できることが示された〔編集部註:この研究で調べられたVOCは、アルファ株と呼ばれるB.1.1.7と、ベータ株と呼ばれるB.1.351、ガンマ株と呼ばれるP.1であり、デルタ株と呼ばれるB.1.617は含まれていない。この論文が投稿された2021年3月4日時点で、デルタ株はVOCにも注目すべき変異株(VOI)にも指定されていなかった〕。その上、ナノマウス由来のナノボディは、RBDの進化的に保存されたエピトープを認識するが、この部位はヒト抗体が一般に認識する領域とは重ならないことが分かった。
COVID-19のパンデミックは、ナノボディが臨床で注目される、これまでにない機会となっている。ナノマウスのプラットフォームでは、より高品質の治療用ナノボディの選択肢となる準備が整えられていて、治療を成功させる確率がさらに高められている。同様に、ヒト抗体の可変領域を含む抗体を産生するマウス(例えば、リジェネロン社のVeloclmmuneマウス)の開発は、FDAに100番目に承認されたモノクローナル抗体の提供に役立っている。おそらくナノマウスは、ナノボディベースの治療薬の開発をこれと同じように推し進めるだろう。
翻訳:三谷祐貴子
Nature ダイジェスト Vol. 18 No. 10
DOI: 10.1038/ndigest.2021.211041
原文
Engineered single-domain antibodies tackle COVID variants- Nature (2021-07-08) | DOI: 10.1038/d41586-021-01721-5
- James E. Voss
- James E. Vossは、スクリプス海洋研究所(米国カリフォルニア州ラホヤ)に所属。
参考文献
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