Perspective
メンデルはいかにして遺伝の法則を発見したか?
Nature Genetics 54, 7 doi: 10.1038/s41588-022-01109-9
グレゴール・ヨハン・メンデルの人物や業績についての記録は非常に少なく、それゆえ彼の研究動機については多くの説がある。それらの説には「メンデルは、すでに確立されていた遺伝に関する理論を検証しようとした」とするフィッシャー説から、「メンデルは、遺伝には全く興味がなかった」とするオルビー説までさまざまあるが、教科書には「メンデルの研究動機は遺伝について理解することにあった」と断定的に書かれていることが多い。本論文では、メンデルがいかにして遺伝の法則の発見に至ったかについての現在のさまざまな説を概観した後、最近新たに発見された、「メンデルによる形質遺伝についての基礎研究は彼が行っていた応用的な植物育種プログラムから発生した」との見解を支持する史料に基づいて考察を行う。メンデルは当時新しかった細胞説の重要性を認識していた。生殖細胞の形成と受精の過程を理解することにより、彼が観察した分離比が説明できることに気づいていたのである。メンデルが細胞説に対する関心を強めたのには、1865年のメンデルの最初の講演の数か月前に若くして世を去ったヨハン・ナーヴェとの交友関係の影響も大きかったものと思われる。今年はメンデル生誕200年であり、後世に多大な影響を与えることになる研究にメンデルを導いた、彼の生涯に起こった出来事を振り返る良い機会である。まずはメンデルがどのようにして遺伝の法則を発見したかについての既存諸説を再考し、その後、より最近になって発見された証拠を提示する。