Author Interview

ES細胞を神経系へと運命づけるものは何か

上谷 大介氏

2011年2月24日掲載

「何年かかってもいい」——博士課程の研究に上谷大介氏は、細胞分化はなぜ神経から始まるかという根本的なテーマを選んだ。笹井芳樹研究室に入って1年が過ぎたときのことだった。ラボメンバーが次々とトップジャーナルへ論文掲載するのを傍目に、彼は黙々と実験を続けた。やがて、研究は7年目を迎え、とうとう大きく結実した。

―― 細胞分化のデフォルトとは、どういう意味ですか?

上谷氏: 細胞は、何もしなければ神経になるということです。発生の初期、胚は、血清や増殖因子などの刺激を受けながら、さまざまな種類の組織に分化していきます。ところが、こうした刺激が存在しない場合には、胚は神経系の細胞になります。つまり、胚の細胞が何に分化することが基本(デフォルト)となっているかというと、神経系の細胞になることといえます。そういう意味で、分化のデフォルトという表現を使っているのです。

一方、発生や再生の研究に用いられるES細胞も、胚から取り出した未分化な細胞です。血清や増殖因子を含んだ培養液に入れておくと、さまざまな細胞に分化します。しかし、培養液からこうした成分を取り除くと、やはり、神経系の細胞にしかなりません。ですから、ES細胞の分化デフォルトも、神経だとわかります。

―― それで、なぜ神経系なのかを探ったのですね。

上谷氏: そうです。デフォルトといっても、何らかの仕組みが働いているのに違いありませんから。神経細胞の再生の研究に、役立つに違いないと思いました。

実は、私のボスである笹井グループディレクターは、その仕組みをカエルの胚で研究し、明らかにしていました。神経系への分化のスイッチをオンにするタンパク質を突き止めたのです。私は、ボスと同じことを、マウスの胚でやりたいと考えました。カエルの神経分化の仕組みだけでは、マウスの場合は説明できないからです。

―― 何か、目星がついていたのですか?

上谷氏: いえ、全く。何も手がかりがないところからのスタートでした。時間はかかってもいい、なんとかなる、と始めたのです。実際、かなりかかってしまい、気が付くと、あしかけ7年を費やしていました。

―― 具体的には、どういうことから始めたのですか?

上谷氏: まず、ES細胞が神経系細胞に分化するときに、量が増減するタンパク質がないかを調べました。DNAマイクロアレイという技術を用いて、網羅的に検索しました。マイクロアレイ結果の解析は、CDB内の別の研究室(幹細胞研究グループ)に所属するマーチン・ヤクト研究員に協力を依頼しました。彼は、独自に開発した優れた解析ソフトを持っていたからです。

解析作業のためには、大量の細胞試料を用意しました。それというのも、解析精度を上げるためにFACSという細胞分離装置で試料を精製すると、わずか3%の量に減ってしまうのです。大量の試料の用意を、体力勝負で乗り切りました。物量作戦でしたね。

そして解析結果が出て、104個のタンパク質が候補として上がってきました。その中から、神経系との関連が薄いと判断できるものを除外し、最終的に、29候補に絞り込みました。

―― さらに絞り込みが必要ですね?

上谷氏: ここからは、けっこう大変でした。候補を検証するには複数のやり方が考えられますが、単純な方法をとることにしました。神経への分化を阻害する物質をES細胞にあらかじめ与えておき、そこに候補のタンパク質を加えて神経の分化が生じるかどうかを、実際に顕微鏡下で確認するという方法です。

このためには、まず、各候補タンパク質を作り出す遺伝子を加工して形を整え、クローニングする必要がありました。私は毎日こつこつと、クローニングのための大腸菌と格闘し、29個の遺伝子を用意するという地道な作業を、半年ほど続けました。

このときも、半ば体力勝負でしたが、ボスが、共同研究者としてテクニカルスタッフを配置してくれました。坂野聡重(ばんの さとえ)さんです。彼女のおかげで、2倍のスピードで仕事がはかどるようになりました。

クリーンベンチ内で、神経細胞の培養液を用意する。
クリーンベンチ内で、神経細胞の培養液を用意する。(名古屋大学の研究室で撮影)

―― 神経を分化させるタンパク質はすぐ見つかりましたか?

上谷氏: そうはいきませんでした。クローニングが完了した遺伝子を、次々とES細胞に導入していったのですが、思うような結果が出ませんでした。毎回、期待しながら顕微鏡をのぞくのですが、神経細胞が生じていないのです。最初の10候補の遺伝子がダメ、次の10候補もダメと、ネガティブな結果が続き、さすがの私も弱気になり始めました。別な方法で検証しようかという思いが頭をよぎりはじめたとき、ようやく、顕微鏡の視野に神経細胞をとらえたのです。神経系細胞を分化させるZfp521タンパク質の発見でした。

最高にうれしかったですね。4年間の苦労が報われたという思いでした。そう、すでに4年も経っていたのです。一緒に実験をしてくれている坂野さんのためにも、長い間私を支えてきてくれたボスのためにも、後に引けないという思いがあったので、ほっとした瞬間でもありました。

図1
図1
Zfp521タンパク質が、神経細胞の分化を促進している。SOX1(緑)とN-cad(赤)のマーカーが神経細胞を示す。左は対照実験。

―― 笹井先生も喜んでくださったでしょう?

上谷氏: 喜んでくれるというよりも、はっぱを掛けられましたね。「やっと、スタートラインに立てた。これからが本番だ」って。そこで、またエンジンが掛かりました(笑)。このZfp521タンパク質が、ES細胞から、神経系の細胞を分化させるスイッチであることを証明するための実験を行いました。

実験は、定法に則し、Zfp521 遺伝子を強制的に発現させたときの影響と、抑制したときの影響と調べるというものです。どちらも予想どおりの結果が出ました。さらに、Zfp521タンパク質がどんな役割をもつのか、詳しく調べていきました。この頃は、楽しい時期でもありました。さまざまなことがわかってきて、必要なデータがどんどん集まりましたから。

―― そこで、いよいよ論文にまとめられたのですね?

上谷氏: 私は、データが揃ったという思いだったのですが、ボスは、さらに深みのある内容にするようにとのアドバイスをくれました。それは、Zfp521タンパク質が細胞内でどのように作用するのか、分子レベルで明らかにすることでした。私もボスに言われて、「なるほど」と納得し、もうひとがんばり研究を続けました。結局、論文をNature に投稿したのは、実験開始から、あしかけ7年目の2010年2月1日のことです。

―― エディターからの返事は?

上谷氏: 約2か月後の3月末に、リバイスの要求が来ました。そこで、「よしっ、やった!」と大喜び。リバイスをすれば、論文が「通る」ということですから。要求内容は、「試験管内での実証だけでなく、マウスの生体でも実験せよ」ということと、「カエルでの実験結果を示せ」ということ。簡単ではなかったのですが、不可能な要求ではありませんでした。ですから、乗り越えよう、と。

笹井研のポリシーは、「リバイスの要求が来たら、何がなんでも、やり遂げる」です。みんなが、そうやって乗り越えてきたのを、私は脇で見てきました。ですから、ここが自分の一番のがんばりどころだと、覚悟しました。

図2
図2
マウス胚(生体)で、Zfp521の発現(紫色)を確認。鮮明な写真を得るのに、最後まで苦労した。

―― リバイス論文を送るまでに、半年近くがんばられましたね。

上谷氏: 実は、ちょっとした見込み違いがありました。共同研究者の坂野さんが、4月に異動になったのです。それからは、私1人でリバイスのための実験をしなくてはなりませんでした。やらなくてはならないことはたくさんあるのに、実験のペースは半減。気持ちは焦り、頭の中は、一時、パニック状態でした。リバイスに締め切りは設定されていませんが、ほかの人が類似の内容を発表してしまったら、私の論文は掲載されなくなります。当然、急がなくてはなりません。精神的に、最もつらい時期でした。

きっと、何よりもつらかったのは、相談する相手がいなかったということなのでしょう。共同研究者は、仕事の速度を上げるだけでなく、気持ちを共有できる相手なのだということを実感しました。

―― でも、乗り越えられて……。

上谷氏: はい。笹井研究室のメンバーや CDBの動物飼育施設の方などに協力していただき、やり遂げることができました。2010年9月にリバイス論文を送り、11月にアクセプトされました。エディターから要求された内容のうち、ノックアウトマウスの作製は時間的に間に合わなかったので、キメラマウスで代償しました。その代わり、要求されていない内容でしたが、ヒトの ES 細胞での実験結果を追加しました。

これも笹井研のポリシーなのですが、リバイスの要求に応えられなかったときは、何らかの方法で代償する。そして、それが満点ではなかった分、別の要素を加えて120点の内容にするというのがあります。それで、ヒトでの実験を加えました。

―― 7年の歳月を乗り越えられた秘けつは?

上谷氏: 毎月1回、ボスとは2時間程度、1対1でディスカッションをします。データが出ないときなど、「話たくないな」と思うこともありました。でも、ボスは、いつも私たちより何倍も勉強して、相談にのってくれました。そういうボスがいたことが、何より自分の支えでした。だから、最後までやり遂げようと思えたのです。

研究室の仲間から得られる刺激も大きかったです。それから、CDBの研究環境が、他の研究室との垣根を低くし、共同研究をしやすくしてくれたこともあります。未発表のデータをディスカッションしたり、自分のラボにはない実験装置、手法、知識を持っている人たちと協力したりすることができました。

また、妻や家族、友人たちからの励ましの言葉も大きな力になりました。

私は、好きなことにはのめり込む性格で、研究にも夢中になってしまいます。これを世界で最初に見ているのが自分なのだという喜びと誇りが、私をここまで動かす原動力になったと思っています。論文投稿の直前まで、長い歳月、研究成果を外部に公表することがありませんでしたので、昔の友人などが心配してメールをくれたりもしました。「楽しくやっているよ」と、その都度返事をしましたが、その言葉に偽りはなかったのです。

聞き手 藤川良子(サイエンスライター)。

Nature 掲載論文

Article:ES細胞の分化デフォルトは、なぜ神経なのか?:神経細胞への分化開始させるスイッチの解明

Intrinsic transition of embryonic stem-cell differentiation into neural progenitors

Nature 470, 503–509 (24 February 2011) doi:10.1038/nature09726

Author Profile

上谷 大介

理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター(理研CDB)
器官発生グループ 研究員
(現在 名古屋大学理学部 生命理学科 細胞制御学教室 助教)

2001年3月 慶應義塾大学理工学部応用化学科卒
2001年4月 慶應義塾大学理工学研究科 基礎理工学専攻 生物化学研究室 修士課程
2003年3月 同大学同研究室修士課程修了
2003年4月 京都大学医学研究科 連携大学院 応用発生生物学研究室(笹井芳樹研究室) 博士課程
2007年3月 同大学同研究室博士課程修了
2007年4月 理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 器官発生研究グループ(笹井芳樹研究室) 研究員
2011年3月 博士(医学)取得
2011年4月 名古屋大学理学部 生命理学科 細胞制御学教室 助教
上谷 大介

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