ゲノミクス:古代ヨーロッパ人のゲノムは現代人集団のゲノムをどのように形作ったのか
Nature
古代ユーラシア人集団のゲノム史を洞察するための手掛かりが、古代DNAの解析によって得られた。この知見を報告する4編の論文が、今週、Natureに掲載される。これらの論文に示された研究では、合わせて1600人以上の古代人の遺伝的データが解析され、過去約1万5000年にわたるヨーロッパの人類集団史に関する知見がもたらされた。
現代の西ユーラシア人集団の遺伝的多様性は、3つの主要な移住現象によって形作られたと考えられている。すなわち、約4万5000年前以降の狩猟採集民の到来、約1万1000年前以降の中東からの新石器時代の農耕民の拡大、そして約5000年前のポントスステップからのステップ牧畜民の到来である。狩猟採集から農耕への転換は、人類の歴史における重要な移行であるが、この移行期におけるヨーロッパとアジアの集団の構造と人口動態の変化に関する詳細な情報は少ない。
Morten Allentoft、Martin Sikora、Eske Willerslevらは1つ目の論文で、こうした過程を大陸横断的な規模で調べるため、ユーラシア大陸の北部と西部で見つかった、主に中石器時代と新石器時代の古代人317人のゲノムデータについて塩基配列を決定したことを報告している(中石器時代には、狩猟採集民と新石器時代の農耕民との間の空白を埋めるという意義がある)。また、今回の研究では、既存の1300人以上の古代人の遺伝子データも解析された。その結果、狩猟採集民から農耕民への移行の遺伝的影響に関して、黒海からバルト海まで伸びる非常に明確な「ゲノムの境界線」が存在することが明らかになった。この境界線の西側では、農耕の導入によって血統の変化を示す大規模な遺伝的変化が起こったが、これと同じ時期に、境界線の東側では、大きな変化は起こらなかった。著者らは、こうした違いが生じたのは境界線の東側の地域の気候条件が中東の農耕技術にあまり適していなかったためで、そのため狩猟採集社会が境界線の西側より約3000年長く続いた可能性があると指摘している。ステップ牧畜民の到来と拡大は、このゲノムの境界線の消失と関連している。
この他に、今週のNatureには、こうした遺伝的変化が現代のヨーロッパ人にどのような形で残っているかを調べた複数の論文(1つ目の論文と著者が重複している)が同時掲載される。2つ目の論文では、神経系の自己免疫疾患である多発性硬化症(MS)に対するヨーロッパ人の遺伝的リスクが高い原因が特定されたことが報告されている。この研究では、古代ゲノムのデータセットの一部と現代の英国在住のヨーロッパ系白人(自己申告による)約41万人のゲノムが比較され、現代のヨーロッパ人において、異なる古代ヨーロッパ人集団由来の遺伝物質が占める割合が定量化された。その結果、MSの遺伝的リスクはポントスステップの牧畜民の間で生じ、約5000年前にヨーロッパに持ち込まれ、これが記録のある移住現象と同時期であったことが明らかになった。また、この論文では、MSに関連した遺伝的バリアントが、感染症の有病率が増加していた時期に、ステップ牧畜民の生活習慣と環境に関連する免疫的優位性をもたらした可能性が示唆されている。
3つ目の論文では、古代の祖先集団の形質と現代人の形質の関連性がさらに指摘されている。例えば、糖尿病とアルツハイマー病のリスクに関連する遺伝的バリアントは、西欧の狩猟採集民の祖先集団に関連しており、北ヨーロッパ人と南ヨーロッパ人の身長差は、異なるステップ牧畜民の祖先集団に関連していることが明らかになった。また、4つ目の論文では、古代デンマークの集団を対象とした研究で、デンマークで発見された100体のヒトの骨格(中石器時代、新石器時代、青銅器時代前期の7300年間にわたる)のゲノム解析の結果が報告されている。この研究では、人口動態、文化、土地利用、食生活の変化のパターンが解明された。
以上の知見は、古代人集団における遺伝的選択と移住現象が、現代のヨーロッパ人に見られる多様な形質にどのように顕著な寄与をしたかを示している。
doi: 10.1038/s41586-023-06865-0
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