責任ある科学と出版を促すための研究公正
日本の研究コミュニティーの課題とその解決策を探るため、シュプリンガーネイチャーは、学術界、産業界や研究資金配分機関から有識者を招いた3回目となる「シュプリンガーネイチャー・ジャパン・リサーチ・アドバイザリー・フォーラム2024(JRAF2024)」を 2024年10月10日に開催。今回は、国内の研究公正の現状を論じ、研究公正の課題や強化について議論を繰り広げた。
研究公正(research integrity)とは研究の提案、実施、評価における誠実で検証可能な手法を利用すること、規則および指針の順守に特別な注意を払い研究結果を報告すること、そして広く受け入れられている職業上の行動規範や基準に従うことであり1,2、研究活動を正したり罰したりすることを目的として設けられている基準ではない。しかし残念ながら、研究公正は、それが守られているときではなく、害されたときだけ大きく報道される。近年、高温超伝導や幹細胞などさまざまな分野で数多くの研究公正に抵触する事例が発生し、注目を集めている。
研究者が論文発表のプレッシャーを常に感じている中、科学文献の正確性を確保するための取り組みが続けられているが、新たな課題も生じている。例えば、捏造論文を販売する論文工場(ペーパーミル)、掲載料を取ることを目的にずさんな審査で論文を採択・出版するハゲタカ(捕食)学術誌の存在、テキスト、データや画像を生成できる人工知能(AI)の使用などだ。
シュプリンガーネイチャーは、世界的な取り組みの一環として、2023年11月末から2024年1月末にかけて、日本科学振興協会(JAAS:Japanese Association for the Advancement of Science)と共同で、日本における研究公正のトレーニングの提供状況や内容の実態把握に関するアンケート調査を実施した。なお、JRAF2024開催時点での調査対象国はオーストラリア、英国、米国、インド、日本であったが、その後、調査は他の地域でも継続されている。
こうした状況を背景に開催された3回目となるシュプリンガーネイチャー・ジャパン・リサーチ・アドバイザリー・フォーラム「JRAF2024:Challenges and opportunities to increase confidence and trust in research and science publishing as a research community」では、研究公正に関連する現状や課題、研究公正に関わる取り組みをもっと前向きなものとして受け止めるようにするために何ができるのかについて、参加者が意見を交わした。
撤回論文数の増加
シュプリンガーネイチャーのティム・カーシェス(研究公正部長)は、JRAF2024での議論の背景として、研究公正と出版倫理に関する最新の傾向と課題を概説した。
カーシェスは、既発表論文の撤回件数が増加傾向にあり、2023年には1万編以上の研究論文が撤回されたと指摘した上で、「論文の撤回が蔓延していると心配する人もいますが、撤回論文数の増加は、学術誌に出版された論文数の増加に見合った程度のものです」と語った。
1つの不正確な研究によってどれほどの被害が生じるのかを示す一例として、脳卒中患者の大腿骨近位部骨折に関する2005年の論文がある3。この論文は、不正なデータに基づいていることが判明して2016年に撤回されるまでの間、220回以上引用され、ヒトと動物を対象とした無作為化比較試験81件に影響を与えた4。
「不正のある研究は、現実世界に影響を及ぼし、人々を危険にさらすことがあります。だからこそ、私たちはこれを真剣に受け止めて取り組んでいるのです」とカーシェスは発言した。 論文の撤回件数の増加は望ましいことではないが、ポジティブに捉えることも可能だ。こうした増加は、出版されている論文に対し、研究公正に関する観点から研究コミュニティーの意識が向上したことや、編集者や出版社による学術文献の訂正に対するより大きなコミットメントを示している可能性があるからだ。さらに、全ての論文撤回が研究不正の結果というわけではなく、ケアレスミスによるものも多い。こうしたことから、論文の撤回を学術出版の一部と捉え、撤回に関連する不要なスティグマ(不名誉)を取り除くことの重要性が議論された。
研究公正の推進
研究公正の推進に積極的に取り組んでいる組織もある。「私たちの研究所では、研究責任者が研究チームのメンバーの実験ノートを毎月1回チェックしています。また、特定の学術誌に投稿される論文については、機関内の委員会が事前チェックを行います」と松本大亮(まつもと・だいすけ)氏(東京都医学総合研究所主任研究員)は所属機関の取り組みを紹介した。
食品・バイオテクノロジー企業である味の素株式会社のスムリガ・ミロ氏(執行役品質保証担当)は、「当社には、確立した研究公正トレーニングが構築されており、全ての研究者に対して、捏造や改ざん、盗用といったテーマで年1回の研修を課しています。さらに、当社は電子実験ノートのチェックを多段階で実施しており、独立した内部審査も行っています」と話した。
研究機関における投稿前の論文原稿のチェック体制に関する議論に関して、重田育照(しげた・やすてる)氏(筑波大学副学長・理事〔研究担当〕)は、「私たちの大学では[剽窃検知ソフトの]iThenticate(アイセンティケイト)を使って博士論文をチェックしています。しかし、出版された全論文となると膨大な量となるため、大学側でチェックするのは困難です。出版社側のチェックに頼らざるを得ません」と語った。
議論は、研究不正に関わる事案の対処方法にも及んだ。出版社は、出版する研究論文の正確性を確保する責任を負っているが、研究不正の申し立てに対応し、調査を主導するのは研究機関の責任となる。しかし、この過程を遂行することは、容易ではないし、相応のコストを伴う。「時に真偽が定かでない申し立てもあり、こうした申し立ての内容を確認するには多くの時間がかかります。この場合、調査に関係する研究者は、自らの研究を中断しなければなりません」と小泉周(こいずみ・あまね)氏(自然科学研究機構特任教授)は話した。
問題のある論文に対処する際の別の課題として、出版社と研究機関のコミュニケーションが挙げられる。「全ての組織が研究公正部署を持っているわけではないため、連絡を取るのが難しい場合もあります。そのような場合、当社から連絡する際には、学部長など、最も適切と思われる人物に連絡しますが、すぐに対応してもらえるとは限りません」とカーシェスは発言した。
研究公正の推進において、トレーニングの提供や研究公正に関わる体制を整えるだけでなく、もっと抜本的な改革が必要なのかもしれない。「研究評価においては、論文発表の方が、データやプロトコル、メンタリング(指導)などの貢献よりも重視される傾向にあります。不適切なインセンティブの設定や論文発表のプレッシャーは優先順位をゆがめます。制度全般の改革を行って、研究成果の多様性が認められるようにし、より公平で包摂的な研究エコシステムを育成する必要があります」とマグダレナ・スキッパー(Nature編集長、ネイチャーポートフォリオ編集顧問)は話した。
産業界と研究公正
民間部門も研究公正を維持する上で重要な役割を担っている。産業界にとって、商品やサービスを通して社会と直結しているという点から、研究公正の推進は大変重要であり、力を入れているのだ。
スムリガ氏は、「企業ではブランド認知の重要性から、研究公正を重要視しています」と語り、「社内の研究者に対しては、論文の発表を奨励していますが、全ての研究論文は、その研究に関与していない研究者もメンバーとして加わる委員会の審査を受けなければなりません。さまざまな基準を用いて、論文の評価が行われます。審査を通らない論文もあります」と続けた。
論文発表の奨励とその価値に関する考えは他の産業界からの参加者からも示された。三井化学株式会社の小野昇子(おの・しょうこ)氏(ICTソリューション研究センター副センター長)は「共創が重要になってきています。当社は、研究成果の価値を示し、社外パートナーを見いだす1つの方法として、学会発表や論文発表を奨励しています」と語った。
民間部門からの論文発表に価値が認められる点については、全ての参加者が同意したが、一部の参加者は、出版物が製品の宣伝に利用される可能性などの懸念を指摘した。出版物を根拠にして、誇張された主張が行われたケースも見られたことがあるからだ。
また論文出版における透明性を巡って、研究結果の全面公開が難しい状況下での論文出版やその出版プロセスにおけるデータのオープン性について議論が行われた。例えば、2024年にAlphaFold3に関する論文がNatureに掲載されたが、その際に疑似コードだけが開示され、完全なコードは開示されなかった5(2024年8月号「AlphaFoldの最新版は創薬を後押し」参照)。最初に完全なコードが開示されなかった理由は、主として2つあった。第1に、コードはGoogle社が独占的に所有する情報だったこと。そして、第2に、コードはGoogle社のオペレーティングシステム上で開発されたコードであるため、Google社の開発者以外の者にとっては役に立たないと考えられていたことだ。
スキッパーは、次のように述べた。「私たちは、この点に関して厳しく批判されました。でも、この論文を出版するという決定は正しかったと思っています。出版することで査読の対象となり、より広範な人々が論文として読めるようになったからです。私たちは、研究コミュニティーにとって十分な情報を提供し、AlphaFold3の機能向上にも貢献することができました。なお、論文が出版された数カ月後、全ての人が使用できるバージョンが開発され、完全なコードがリリースされました6」。
研究公正に関する調査からの学び
JRAF2024の最後のセッションでは、浦上裕光(うらかみ・ひろみつ、シュプリンガーネイチャー・ジャパン アカデミック・エンゲージメント・ディレクター)が、日本を含む5カ国における研究公正のトレーニングの現状に関する調査結果の概要を発表した7。
浦上は本調査から見られたいくつかの特徴を紹介した。1)研究公正のトレーニングの提供状況に関し、所属機関でトレーニングが「実施されている(73%)」、そして受講経験がある回答者の中で「必須であった(95%)」と答えた割合は、これまで調査を実施したどの国(オーストラリア、英国、米国、インド)よりも日本が高かった(図)。この理由としては、研究公正のトレーニングが競争的研究費にひも付けられている点が大きいと思われる。なお日本では、7割弱が実施されたトレーニングの種類はオンラインのみと回答しており、この割合は調査対象国の中で最も高かった。2)より多くの支援が求められているトレーニング分野について、研究データに関するものを選択した回答者が多かった。3)日本では、他の調査対象国の研究者と比べて、研究公正の認識に関し、「研究公正とは、研究不正や研究費の不適切な使用などの不正行為をしないこと」だと考える傾向が高いことなどが明らかになった。
これらの結果に対し、大野弘幸(おおの・ひろゆき)氏(日本学術振興会学術システム研究センター所長)は、「トレーニングに関しどのようなギャップがあるのか、そして何をすべきなのかを知りたい」と問い掛け、その後、研究公正のトレーニングの有効性を高め、研究におけるベストプラクティスを推進するための方法についての議論が行われた。
国内のトレーニングの提供状況として、大学院生からシニア研究者や役職者まで、広いキャリアステージに対するオンライン研修の提供率が高い一方、手薄な箇所として「多くの研究公正のトレーニングは学生向けの教育プログラムに体系的に組み込まれていないのです」と田中智之(たなか・さとし)氏(京都薬科大学教授)は指摘した。
多くのトレーニングはオンラインで提供されているのだが、オンライン研修は受動的な学習が中心になりがちな特徴や課題も挙げられた。またオンライントレーニングについて、原山優子(はらやま・ゆうこ)氏(東北大学名誉教授、東レ株式会社 社外取締役)は「オンライントレーニングはチェックリストになってしまう可能性があります。また、受講者の個別のニーズに対応するのが難しいのでは」と語った。さらに、オンライントレーニングの有効性の評価も難しく、「(オンライン)トレーニングの効果的な評価が欠けていると思います」と樋笠知恵(ひかさ・ちえ)氏(信州大学助教)は言い添えた。
オンライントレーニングが多く用いられている理由の1つとして、研究機関におけるリソース不足が挙げられる。研究公正を専門に扱う部署がない研究機関も存在するのだ。「大学では研究公正の研修をeラーニングに大きく依存している例が多く見られますが、それは専門の研究公正担当者がいない場合が多いからです。また、研究不正への対応や研修等で事務職員が中心的な役割を担っていることも多いですが、彼らは3~4年ごとに異動するため、担当部署内で知識が十分に蓄積されないのです」と中村征樹(なかむら・まさき)氏(大阪大学教授)は説明し、「大学における研究公正の取り組みの水準を高めるため、公正研究推進協会は研究公正に関わる人材の認定制度の創設を目指しています」と付け加えた。
研究公正へのネガティブな印象は、日本語訳や、過去に大きく取り上げられた事例が研究コミュニティーに及ぼした影響も一因となっているかもしれない。“Research integrity”の一般的な日本語訳は「研究公正」で、この「公正」という言葉は「公平、偏りのない」というような意味であるが、「正しい」といったニュアンスがあるため、「不正」とイメージ的につながりやすいのではないだろうか。「不正をしない・避ける」といった観点ももちろん重要ではあるが、視座を移し、研究公正を「責任のある科学・役立つ科学」の実現を促すものとして、また、信頼できる出版において重要な構成要素であるものとしてポジティブに捉えることも有益であるとの意見も出た。重田氏は、「研究公正と論文撤回は処罰ではなく、必ずしも否定的なものではないことを学びました」と語った。
アントワーン・ブーケ(シュプリンガーネイチャー・ジャパン代表取締役社長)は、「皆が関与する必要があるのです。これは共同作業であり、研究公正の推進は、私たち全員のためになるのです」と共同作業の重要性を強調し、フォーラムをまとめた。
JRAF2024では、研究コミュニティー全体で研究公正を維持する責任を共有することの重要性が再認識され、信頼のおける研究や科学出版を支えるための継続的な教育、体制やベストプラクティスの順守の必要性が強調された。こうした取り組みを実現できれば、研究公正の負の側面だけが大きく報道されないようになるはずだ。
References
- https://grants.nih.gov/policy-and-compliance/policy-topics/research-integrity
- PwCあらた有限責任監査法人、研究インテグリティ(Research Integrity)に係る調査・分析報告書、2022年3月 https://www8.cao.go.jp/cstp/kokusaiteki/integrity/ri_report_fy2021.pdf
- Sato, Y. et al. JAMA, 293, 1082–1088 (2005).
- Avenell A, et al. The 5th World Conference on Research Integrity, Amsterdam (2017).
- Abramson, J. et al. Nature, 630, 493–500 (2024).
- Ewen Callaway Nature, 635, 531–532 (2024).
- Aldabbagh, F. et al. Preprint at Figshare https://doi.org/10.6084/m9.figshare.25880314
執筆:
浦上裕光
(シュプリンガーネイチャー・ジャパンアカデミック・エンゲージメント・ディレクター)
Simon Pleasants
(シュプリンガーネイチャー東京オフィスのシニアエディター)