糖尿病の個別化治療:単なる望みか
Nature Reviews Endocrinology
2010年8月1日
Diabetes Individualized therapy for diabetes mellitus—just a promise?
個々の2 型糖尿病患者において効果的な血糖コントロールを実現するためには、本疾患の臨床特性や病因、 原因となる遺伝因子の多様性を考慮に入れなければならない。新しい研究において、表現型と遺伝子型に基づく2 型糖尿病の個別化治療の可能性が考察された。
血糖値を効果的に管理することは、2 型糖尿病治療において不可欠である。National Health and Nutrition Examination Survey(NHANES)1 のデータによれば、 2005 ~ 2006 年に糖尿病のため抗糖尿病薬を服用した米国患者の割合は1999 ~ 2000 年よりも上昇しており、また多剤併用療法の使用頻度も単剤療法に比べて増加している。しかし、より積極的な薬剤処方が施行されているにもかかわらず、HbA1c 値< 7% を達成した患者は58% にすぎない1。多くの糖尿病患者で個々の目標血糖値を達成するためにライフスタイル介入が必要であるとすれば、薬剤の選択はどのように行うべきであろうか?理想的には、個々の患者において疾患の進行を抑制または遅らせるのに効果的で、かつ有害事象を最小限に抑えながら最良のQOL を提供しうる治療法を医師が選択することであろう。Smith ら2 は、2009 年4 月に開催された国際会議に基づいて作成された血糖降下療法に関するコンセンサス概要の中で、この個別化治療の問題に取り組んでいる。本会議はEndocrin Society およびAmerican Diabetes Association による承認を受けており、29 名の著名人が参加している。
いま現在、2 型糖尿病における表現型の多様性をもたらす原因については何がわかっているだろうか。さまざまな程度のインスリン抵抗性、β細胞機能障害、インクレチン欠損、グルカゴン作用が、個々の患者において糖代謝異常を引き起こすことが知られている。さらに、それぞれの要素が異なる時間形式で増悪をもたらすことも示唆されている。Smithらは、個々の耐糖能障害患者では筋肉におけるインスリン抵抗性 が主要な因子となり、一方、空腹時血糖異常患者では肝臓でのインスリン抵抗性が重要となることを示した研究に言及しながら、表現型の多様性の発現が前糖尿病の段階で始まることを強調している。個々の患 者にとって最も効果的な治療法を決定するには、これらの要素の込み入った関係を解く必要があるが、その作業は難しい場合が多い。Smith らは、最大25% の患者が診断時にインスリン抵抗性を示さないことか ら、インスリン抵抗性が必ずしも糖尿病発症の有力なメカニズムになるわけではないと警告している。著者らは年齢、性別、人種、および肥満の程度の相互作用が2 型糖尿病のサブタイプの決定に影響を及ぼすと している。例えば、小児における2 型糖尿病の早期発症は女児にて優勢であり、こうした患者では成人に比べて進行も速い。
遺伝子も2 型糖尿病における表現型の多様性に寄与している。これまでに、単一遺伝子性糖尿病の原因となる稀な遺伝子変異を見出した研究が報告されている。また、より一般的な多遺伝子性2 型糖尿病に関 しては、疾患リスクに関連する20 以上の遺伝子多型が大規模なゲノムワイド解析によって同定されており、そのほとんどがβ細胞機能に影響を及ぼすことが示されている。しかし、2 型糖尿病患者に対する薬 物療法の選択において、これらのエビデンスはどの程度影響を及ぼしているだろうか。Smith らは、患者サブグループの薬物療法に対する反応性を特定する研究が欠如していることを指摘している。一方、単一遺伝子性糖尿病は科学進歩がいかに治療の改良をもたらしたかを示す最もよい例となっており、例えばカリウムチャネルのKir6.2 サブユニット変異を原因とする持続性新生児糖尿病に対しては、現在スルホニル尿素が用いられるようになっている。また成人では、2 型糖尿病に類似しているが自己免疫障害が緩徐に進行する緩徐型インスリン依存糖尿病を同定できるようになり、こうした亜表現型の定義が現行の実診療をいかに改善できたかを示す例となっている。さらにゲノム薬理学的研究からは、経口抗糖尿病薬物療法に対する個々の反応に関する知見がいくつか得られている。とはいえ、ほとんどの2 型糖尿病患者にとっては、血糖降下薬をどのように個別化して選択するかを決定するうえで、現在の多様性に関する知識では不十分であるというのが一般的な見解といえる。
個別化治療を実現するために、Smith らは一連の総合戦略を推奨している(Box1)。まず、既存のデータをより活用すべきである。治療に対する血糖反応を決定する因子を評価し、解釈するためのプール解析の実施が求められよう。年齢、性別、人種、肥満マーカー、インスリン抵抗性、インスリン分泌、種々のバイオマーカー、および遺伝子といった変数を用いて解析すれば、患者の亜表現型と臨床予後がより合致するようになるだろう。次に、患者登録に際しては患者の多様性に関する情報も収集すべきである。新規の臨床試験では、治療に対する個々の反応性に影響を及ぼすと推定される因子の意義を確認する必要がある。また、個々の患者の病因に関する情報の分析能力、すなわちβ細胞機能やβ細胞量、インスリン抵抗性、インクレチンおよびグルカゴン機能、異所性脂肪沈着の評価能を増強するための手法の改善も要されよう。最後に、蛋白(プロテオミクス)、遺伝子(ゲノミクス)、代謝物に関連する化学的プロセス(メタボロミクス)、病態生理学的刺激もしくは遺伝的修飾に対する代謝反応(メタボノミクス)といった多様性に関する基礎的研究を行い、新しい情報を取り込む必要がある。コンピュータによるモデルやシミュレーションを用いれば、新しい知見を得ることができよう。こうしたアプローチ法には、いずれも種々の行政機関、製薬会社、研究者および医師らの強力なコミットメント、協力、ならびに特別な財政支援が不可欠である。
では、現在2 型糖尿病患者を扱っている医師にとって、このコンセンサス声明はどのような意義があるだろうか。個別化治療の実現は大きな野望である。Smith らの声明を概観すると、血糖降下薬に焦点が当 てられている。しかし、2 型糖尿病患者の管理においては、高血圧や糖代謝異常、あるいは血中グルコース値などをコントロールする多因子性のアプローチが必要なのは明らかである8。2005 ~ 2006 年の NHANES1 データによると、高血圧とコレステロール値がコントロールされていた糖尿病患者はほんの一部であった(それぞれ29% および43%)。したがって、統合治療もしくは個別化治療を完全に実現するためには、治療に対する血圧や脂質反応性の多様性についても取り組まなければならない。また、薬物療法と非薬物療法の効果を比較する試験も要されよう。コンセンサスガイドラインには、こうした考察が含まれていなかった。
2 型糖尿病においては、利用可能な治療アルゴリズムや薬剤クラス数が増えているにもかかわらず、現在のところ多くの患者で最適な治療がなされていない。実診療では、医師らは年齢、糖尿病の罹病期間、 BMI、有害事象、患者の意向といった種々の因子を考慮に入れながら、個別に管理しようと試みている。臨床試験のエビデンスと臨床上の判断から導き出された現行のアルゴリズムは、全体的なHbA1c 値低下効 果、安全性、簡便性、忍容性、合併症に対する効果、 費用に基づいて作成されている9。メトホルミン単剤療法とライフスタイル介入が無効であった場合、本アルゴリズムではインスリンまたはスルホニル尿素(いずれも有効性が確認されている薬剤と考えられてい る)による治療、もしくは有効性がまだ十分に検証されていないピオグリタゾンもしくはGLP-1 受容体アゴニストによる治療が推奨されている。血糖降下薬の併用療法を直接比較した臨床試験はほとんどない。以前は早期β細胞機能障害の重大性が過小評価されていたが 型糖尿病の早期段階で発現する病態生理学的メカニズムに作用する併用療法の開始の必要性が叫ばれている。
結論として、表現型や遺伝子型に基づく個別化治療のための現行のツールでは、2 型糖尿病患者にみられる多様性に十分対応することはできない。Smith らのコンセンサス声明と勧告は、個別化治療に近づくための有望な青写真といえる。治療反応性の違いにおけるエピジェネティックな遺伝子修飾の役割に関する調査も、研究プランに組み入れるべきである。個別化治療を実際に適用するには、侵襲性が低く高価でない診断法が必要となろう。こうしたプロセスによって提供される薬剤療法が正確に適合すれば、2 型糖尿病患者の健康予後改善における根本的な突破口となり、公衆衛生に大きな影響を及ぼすと考えられる。この望みが果たされるかどうかは、時がたてばわかるであろう。
doi: 10.1038/nrendo.2010.88