Year In Review

標的治療へのロードマップ

Nature Reviews Endocrinology

2010年1月24日

THYROID CANCER IN 2010 A roadmap for targeted therapies

2010 年に発表された数々の画期的研究により、甲状腺癌の生物学に新たな知見が加えられた。甲状腺癌発現時には種々の遺伝子異常が協調して作用することが明らかとなり、影響を受ける主な細胞型が特定されるなど、今後の甲状腺癌に対する標的治療の開発に向けて確かな枠組みが提示された。

甲状腺癌は最も頻度の高い悪性内分泌腫瘍であり、あらゆるヒトの癌のおよそ1% を占める。この20 年間に甲状腺癌に関連したさまざまな遺伝子異常が同定された。すなわち甲状腺乳頭癌(PTC)はマイトジェン活性化プロテインキナーゼ(MAPK)シグナル伝達経路の構成要素であるRET、RAS、BRAF 変異と主に関連し、濾胞性甲状腺癌(FTC)はRAS 変異もしくはペルオキシソーム増殖因子活性化受容体γ遺伝子(PPARG)の転位によって特徴づけられることが判明した。また甲状腺未分化癌(ATC)はRAS およびBRAF 変異のほかTP53、PIK3CA および/ またはAKT 変異も有する こと、甲状腺髄様癌(MTC)では家族性のほぼ全例、散発性のおよそ半数がRET 変異と関連することが示された。このように甲状腺癌はその種類にかかわらず、増殖因子シグナルカスケードの種々のレベルでの遺伝子異常を伴うことが示された(図1)。2010 年に発表された数々のオリジナル研究論文によって明らかにされたこの発見により、甲状腺癌の細胞生物学および標的治療の可能性における増殖因子シグナル伝達の役割に対する関心が高まっている。

甲状腺癌に関連する種々の遺伝子変異が同定されたことから、こうした分子をターゲットとした新しい治療法の設計が促されるようになった。マルチターゲット型の低分子キナーゼ阻害薬は、現在開発中の甲状腺癌治療薬の中でも重要な薬剤である。このアプローチ法は、甲状腺癌に関連する遺伝子異常のほとんどがチロシンキナーゼ(例えばRET)、セリン/ スレオニンキナーゼ(例えばBRAF、AKT)、もしくは脂質キナーゼ[例えば(PIK3CA によりコードされる)PI3K]に影響を及ぼす機能獲得型変異に起因するという事実に基づいている。こうしたことから本剤の薬理学的阻害による腫瘍増殖の抑制に期待が寄せられている。プロテインキナーゼを介して発癌シグナル伝達を遮断する方法は、例えば肺癌におけるEGFR 阻害など、他のヒト癌治療においてすでに採用されている。現在、腫瘍学における臨床スタンダードとして広く認識されているNational Comprehensive Cancer Network guidelineでは、全身治療を要する甲状腺癌(ATC、転移性MTC、放射性ヨード治療抵抗例、進行性PTC および FTC)患者に対するキナーゼ阻害薬の経験的投与や同患者の臨床試験への登録を推奨している。

こうしたキナーゼ阻害薬の効果は複数の報告によって示されている。最近では進行性MTC を対象としたソラフェニブまたはvandetanib の第II 相オープンラベル試験の成績が発表されている2,3。この2 つの薬剤は主としてRET およびVEGFR の受容体チロシンキナーゼ活性を遮断する。RET の活性化変異は甲状腺C細胞の形質変換を促し、MTC へと進展させる。一方、VEGFR の活性化は腫瘍組織内の新しい血管の形成(血管新生)においてきわめて重要である。散発性MTC患者を対象としたソラフェニブの試験ではほとんどの患者がSD(stable disease)を示し、1 例がPR(partial response)を達成した2。対照的に、RET 変異を有する家族性MTC 患者を対象としたvandetanib の試験における疾患コントロール率は73%(objective PR20%、SD 53%)であった3。これらの結果は、家族性MTC 患者を対象に低用量vandetanib を投与した別の第II 相オープンラベル試験で確認されている。さらに血管新生に関与する複数の受容体チロシンキナーゼ(VEGFR、PDGFR、KIT など)をターゲットとするpazopanib の効果も、放射性ヨード治療抵抗性の進行/転移性分化型甲状腺癌患者を対象に検討されている。本試験におけるpazopanib によるPR達成率は49%で、 認められた寛解が1 年以上持続する可能性を示す成績も得られた。

甲状腺癌患者においてキナーゼ阻害薬の有効性を最大限にするためには、これらの薬剤が作用するターゲットを特定する必要がある。また異なる遺伝子異常を同時にターゲットとする併用療法を開発するには、甲状腺癌に関連する種々の遺伝子異常が個々の腫瘍においてどのように協調して作用しているのかを理解することも重要である。ヒトゲノムシーケンスから得られた情報により、癌関連変異に関する癌遺伝子の体系的調査が可能となった。 2009 年にRicarte-Filho ら6 は、一連の甲状腺癌試料を材料に癌遺伝子変異の探索を行った。その結果、80% の患者の転移性病変ではPIK3CA、AKT および BRAF 変異が共存しており、これらの変異が協調して転移性表現型へと進展させていることが強く示唆された。Miller ら7 も同様の結果を報告しており、MAPKとAKT のシグナル伝達経路が甲状腺上皮において相互作用していることを明らかにした。Miller らは、正常時にはAKT 活性を抑制するホスファターゼであるPten を組織特異的に欠損しているマウスとKras 変異発現マウスを交雑させた(図1)。すると、いずれか一方の遺伝子変異のみを保有している場合は甲状腺における悪性転換は認められなかったが、両変異を保有するマウスでは浸潤性かつ高転移性の濾胞性癌へと進展した。興味深いことに、in vitro においてMAPK とAKT 経路を同時に阻害すると、いずれか一方の経路のみを阻害する場合に比べて両変異を保有するマウス由来の癌細胞株の増殖がより効果的に抑制された。こ うした知見は今後、放射性ヨード治療抵抗性の転移性甲状腺癌治療においてMAPK 経路阻害薬とAKT 経路阻害薬との併用を検討するための根拠となりえよう。

2010 年には甲状腺癌発現時における幹細胞の役割についても注目が集まった。Todaro ら8 の画期的な研究論文によりFTC、PTC およびATC には癌幹細胞マーカー候補であるアルデヒドデヒドロゲナーゼ陽性細胞が含まれ、これら細胞が甲状腺癌を発現させる可能性があることが報告された。マウスにこれらの幹細胞をわずか数百個同所注入しただけで甲状腺癌の形成が誘発され、原病変の典型的特徴が正確に再現された。注目すべきはMET(肝細胞増殖因子受容体)を介したシグナル伝達とAKT キナーゼが、ATC 由来幹細胞の浸潤および転移挙動において重要な役割を果たしていた点である。これらのキナーゼを遮断すると、癌細胞の遊走や転移性表現型への進展が阻止された。本結果はPI3K とAKT が、MET とともに甲状腺癌幹細胞コンパートメントの自己複製を根絶するための有望な治 療ターゲットとなることを示している。

最後に2010 年は、PTC 患者で高頻度にみられる遺伝子異常(RET/PTC 再配列)の発現に関与する分子メカニズムについて2 件の論文が発表されたことで注目された9,10。前立腺癌と同様にPTC では遺伝子融合イベントを引き起こす染色体異常が認められることが多い。PTC においてこれらの異常は電離放射線への曝露と関連しており、発癌性のRET/PTC キメラの生成につながる。RET/PTC キメラには、プロモーター領域に融合したRET シーケンスをコードするチロシンキナーゼと、NCOA4(RET/PTC3 内)やCCDC6(RET/PTC1 内)といった異種遺伝子の第1 エクソンが含ま れる。染色体異常は当初、偶発的なイベントと考えられていたが、現在では空間的に隣接する2 つの遺伝子の非相同的組換えを促進する特異的なクロマチン構造によってこれらの異常が発現する概念が提唱されている。このシナリオでは、DNA 二重鎖の切断が起こると染色体の線形マップにおいて数メガベース離れている2 つの異なる遺伝子が高頻度で隣接し、異常組換えを起こすと考えられている。

Gandhi ら9 は、RET およびその融合パートナーであるCCDC6 とNCOA4 が10 番染色体の脆弱部位(FRA10C およびFRA10G)に位置することを見出した。同部位はアフィジコリン、2- アミノプリン、5- ブロモ-2- デオキシウリジンといった遺伝毒性物質への曝露によるDNA 切断の感度が高かった。同様にAmeziane-EI-Hassani ら10 は、甲状腺細胞のDNAを損傷させてRET/PTC 組換えを促進させる内因性要 因の1 つとして過酸化水素を特定した。甲状腺は生理的に過酸化水素に曝されている。過酸化水素はイオン化照射による治療後でも生成され、過酸化水素スカベンジャーであるカタラーゼで甲状腺細胞を前処理すると照射後のRET/PTC 再配列の頻度が有意に減少する。これらの結果は甲状腺癌と関連する一般的な遺伝子変化の分子メカニズムを説明しているだけでなく、こうした遺伝子異常の形成を予防するための戦略を開発するうえでも重要な意義をもつ。

数年以内に現在進行中の甲状腺癌に対するキナーゼ阻害薬に関する臨床試験の成績が発表されれば、本剤の有用性と同アプローチ法が有効な症例の区別がより明らかになるだろう。これらの試験では、各種薬剤が実際に阻害している標的蛋白や分子経路を特定するためのバイオマーカーの評価が重要になる。また甲状腺癌細胞ゲノムのハイスループットシーケンスといったポストゲノム技術と実験動物モデルを活用すれば、各種甲状腺癌の原因となり得る遺伝子異常、あるいは種々の分子標的治療薬に対する反応性に影響を及ぼし得る遺伝子異常に関してより多くの情報が得られるように なろう。2010 年に発表された研究が、こうした試みに向けたロードマップを提供したことは明らかである。

doi: 10.1038/nrendo.2010.232

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