科学の興亡「ネイチャー」VS.「サイエンス」
新潮45
論文はこうやって選ばれる
掲載率が低いことで有名な(あるいは悪名高い?)ネイチャー誌だが、その希少性ゆえに科学者の間での評価が高いことも事実だ。
ノーベル賞の選考過程は秘密のベールに包まれていて、授賞後50年たたないと事情は明かされないが、ネイチャー誌の論文受理のプロセスも部外者には謎めいている。その実態はどうなっているのだろう?
「論文のアクセプト率は、7~8%ほどの狭き門です。まず編集部でピアレビューに回す論文を精査します。しかし、ピアレビューはあくまで重要な判断材料としてコメントを聞くだけで、レビュアーの意見の多数決で決定するわけではない。多数のレビュアーが高評価をつけたとしても最終的に編集部判断で落とすことがあり、逆にネガティブな評価が多かったとしても、掲載に至ることはあります。編集部が全責任をもって採否を決定するのです。
レビュアーはノーギャラです。それでも概ね、ネイチャーの査読者に選ばれること自体が名誉なことだと考えていただけているようです。ちなみに、的を射たコメントがもらえない研究者や、コメントがいつも遅い研究者などは、ブラックリスト入りして、二度とレビュアーに選ばれることはありません。
英語が下手という理由だけで論文がリジェクトされることはありません。意味が通じないというレベルでは無理ですが、意図することがわかる論文であれば、文章力があるエディターが、著者に許可をとりながら校正をすすめます。
ネイチャーには投稿料も原稿料もありません。カラーの図版などは研究者に負担してもらうことがありますが、そういうときは大体はその研究者が所属している組織の研究予算から支払われます。
論文の著作権は著者が保有し、ネイチャーに独占出版権を委譲します。ただし著者が使うのは自由ということになっています。問題がおこることは稀ですが、毎日のように転載・引用に関する問い合わせがきます」
通常の学術誌であれば、ピアレビューが全てを左右する。だが、そもそも「同人誌」の性格が強いため、ピアレビューをするピア(=同じ分野の研究者)が「お友達」である可能性も高い。だから、ピアレビューがあるから客観的で公平な評価だというのは、建て前だけのことも多い。
それに対して、ネイチャー誌は、ピアレビューを絶対視することなく、編集部の独立を保っていることがわかり、かなり驚かされた。
中村氏はインタビューの最後をこう締めくくった。
「ネイチャーはマクミラン社の看板雑誌であり、赤字の時期もありましたが、同社に支えられてきました。ロンドンが爆撃にさらされていた第二次世界大戦時も週刊で発行し続け、現在に至るまで一度も休刊したことがありません。そういった歴史に裏打ちされた信頼感もあるのではないでしょうか」
まさに、権威は一日にしてならず、といったところだろうか。
おわりに
この連載では、ネイチャー誌とサイエンス誌に対して批判的な視点からも記事を書いてきたが、今回は、インタビューの紹介に重きをおいたこともあり、べた褒めの感が否めない。私は過去にフリーの立場でネイチャー誌の仕事をしていた経験があり、どうしてもネイチャー誌を高く評価してしまう傾向がある。
とはいえ、私は長年、サイエンス誌を支えている全米科学振興協会(AAAS)の会員でもあり、毎週、サイエンス誌も購読している。
次回は、サイエンス誌について、なるべく公平な立場から、インタビューを交えて分析してみたい。
竹内 薫(科学作家)
世界中の科学者が論文掲載を夢見る科学誌の両雄、「ネイチャー」と「サイエンス」は、常に科学の歴史と共に歩んできた。その創刊秘話から編集部の内部事情、論文掲載をめぐる熾烈な競争、はたまた科学界を揺るがした一大スキャンダルまで、両誌をめぐるエピソードを紐解き、これからの「科学のあり方」を探るノンフィクション。
月刊誌「新潮45」の連載は好評のうちに終了。単行本化し、好評発売中。
「科学嫌いが日本を滅ぼす「ネイチャー」「サイエンス」に何を学ぶか」(新潮社)