細胞の停電
Nature Reviews Cancer
2003年7月1日
ミトコンドリアは、呼吸を通じて細胞にエネルギーを供給するだけでなく、細胞の生死の決定もしている。ミトコンドリアの内膜と外膜を貫通するミトコンドリア膜透過 性遷移孔(mitochondrial permeability transition pore、MPTPと略す)は、特定の刺激によって開く。MPTPが開くとシトクロムcとアポトーシス誘導因子が放出され、カスパーゼが活性化されてアポトーシスが起こる。今回Philip Hoggらが、MPTPを標的とする攻撃が癌治療に有効な戦略になるかどうかを調べた。
3 価の砒素(ひそ)化合物PAO(phenylarsine oxide)は、ミトコンドリア内膜のアデニンヌクレオチド交換タンパク質(ANT)成分に結合してMPTPを活性化することがわかっていたが、親油性なのですべての培養細胞に対して毒性を示す。そこでHoggらは、GSAO[4−(N−(S- glutathionylacetyl)amino)phenylarsenoxide]というPAOの親水性誘導体をつくり、その効果を調べた。GSAOは、単離したミトコンドリアの膨潤を引き起こすことができ、ANTにも結合した。ミトコンドリアの膨潤は、GSAOによってMPTPが開いたことを示している。GSAOはまた、ウシのBAE内皮細胞とヒト内皮細胞に加えると速やかにミトコンドリアに局在化した。
ところでGSAOは実際にこれらの細胞にどんな影響を与えるのだろうか。GSAOがANTの機能に影響をおよぼすにはカルシウムが必要で、細胞増殖はミトコンドリアのカルシウム濃度の上昇と関連があるので、GSAOに感受性を示すのは増殖中の細胞だけだと考えられた。そして実際、そのとおりだった。BAE細胞をGSAO存在下で培養した場合、増殖性細胞は影響を受けたが、静止期の細胞は影響を受けなかった。低濃度のGSAOで細胞を処理すると増殖が阻止され、GSAO濃度を増加させると細胞死が起こった。これに伴って細胞内のATP濃度とミトコンドリアの膜電位が低下し、活性化されたカスパーゼ‐3および‐7が増加したので、アポトーシスが誘発されたと考えられた。
アポトーシス誘発濃度より少し低い濃度のGSAOは細胞の呼吸に影響をおよぼし、活性酸素種のスーパーオキシドアニオンを増加させた。この場合も、これらの影響は増殖性細胞だけに見られ、これらの影響が細胞周期の停止、ミトコンドリアの完全な状態の破壊およびアポトーシスにつながるのかもしれない。意外だったようだが、腫瘍細胞に同様の影響をもたらすには内皮細胞に比べてずっと高濃度のGSAOが必要だった。しかしこれは、癌の治療にGSAOが使えないという意味にはならない。なぜなら内皮細胞が腫瘍に血液を供給するからである。Hoggらはニワトリ漿尿膜検定法を利用し、GSAOが血管新生を抑制することを示した。しかしGSAOによって腫瘍の血管新生を抑制し、マウスの腫瘍増殖を抑えることができるだろうか。
Hogg らは、免疫無防備状態のマウスと免疫能の正常なマウスにそれぞれヒト原発腫瘍とマウス原発腫瘍を移植し、GSAOを皮下注射した。これらのマウスの腫瘍の増殖は90%まで抑制され、腫瘍増殖の抑制は血管密度の減少と対応していた。腫瘍細胞の増殖速度は調べられていないが、血液供給の阻止がアポトーシスの増加をもたらし、最終的に腫瘍の大きさを増加させなかった。
砒素を利用した治療法は、紀元前にギリシャのヒポクラテスが潰瘍(かいよう)の治療に用いて以来、医学に利用されてきたが、癌治療への砒素の適用については、まだまだ知るべきことが残されている。
doi:10.1038/nrc1132
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