2 型糖尿病患者における低HbA1c 値と死亡率
Nature Reviews Endocrinology
2010年7月1日
Diabetes Low HbA1c levels and mortality in type 2 diabetes mellitus
Lancet 誌に発表された新しい研究により、2 型糖尿病患者ではHbA1c 値と死亡率との間にU 字関係が認められることが示された。しかし、この知見に基づいて、現行ガイドラインにHbA1c 値の最低目標値を含めるよう改定するのは妥当であろうか。
目標HbA1c 値を達成するための強化療法の有害性を明らかにしたACCORD 試験1 が発表されて以来、糖尿病患者における目標血糖値に関しては議論が続いている。根拠のない個人的な見解は概して無視できるが、Currie ら2 の後ろ向きコホート研究をはじめとした大規模データに基づく知見を考慮に入れないことは問題であろう。Currie らは実診療での厳格な血糖コントロールが死亡リスクと関連することを報告したが、この結果は他の研究結果と矛盾している。したがって、患者ケアに影響を及ぼすような不適切な勧告を導かないためには、Currie らの報告を厳密に分析する必要がある。
Curie らは、経口血糖降下薬の単剤療法から併用療法(スルホニル尿素薬+メトホルミン)へと治療を強化した50 歳以上の2 型糖尿病患者27,965 例を対象に検討を行った。著者らはこれら患者を、経口単剤療法からインスリン±経口抗糖尿病薬療法へと治療を変更した20,005 例の2 型糖尿病患者から成る二次コホートと比較し、主に2 つの知見を得た。1 つ目は、 HbA1c 値が死亡率とU 字関係を示したこと。つまり、 死亡リスクが最も低かったのは平均HbA1c(国際標準値)が7.5% の患者であり、一方、死亡リスクが最も高かったのは同HbA1c(国際標準値)が6.4% の患者と10.5% の患者であった。著者らは、現行の糖尿病治療ガイドラインに最低HbA1c 値を含めるよう改定すべきであると結論づけている。2 つ目は、経口抗糖尿病薬併用の有無に関わらずインスリンをベースと したレジメンが、スルフォニル尿素薬+メトホルミン併用療法に比べてすべての原因による死亡率の上昇に関連していたことである(ハザード比1.49、95%CI 1.39 ~ 1.59)。この結果は、現行の推奨目標値までHbA1c 値を低下させるためのインスリン使用が有害である可能性を示唆している。
後ろ向き研究ではデザインとデータ解析の質に関して重大な限界点がみられることが多いが、Currie らの研究では後者のほうが問題となろう。HbA1c 値のデータは研究施設から直接入手したのではなく、一般診療記録から収集された。そのため、実際に記録されたHbA1c 値のデータ数に関する情報が提示されておらず、この不明情報は主要分析から単に除外されただ けである。加えて、HbA1c 値の測定が一定の時点で行われていない。平均HbA1c 値は全観察記録の平均として算出されており、時間経過とともに変化しうる 値ではなく、固定値として扱われている。
バイオマーカーと死亡率との間の見せかけのU 字関係については数多くの報告があり、その最たる例が疫学研究におけるコレステロール値である。このU 字関係は、症状がきわめて重篤なためにコレステロール値が低く、かつ死亡率が高い患者がそれらの疫学研究3 に含まれていたことによって導き出されたと考えられる。しかし、実診療だけでなく、臨床試験おいても低コレステロール値に対するスタチン療法が死亡リスクを上昇させることはない。このことは、Currie らの方法が不適切である、もしくはこうした疫学研究からは誤った結論が導き出される可能性があることを示唆している。同様に、低血糖と院内死亡率がU 字関係にあることも報告されている。しかし、さらなる 解析によって、低血糖を発現した患者の多くはインスリン投与を受けたことがなく、低血糖が多臓器不全、特に肝不全に起因していたことが明らかにされている。 ACCORD データのpost-hoc 解析では、死亡率は低HbA1c 値と関連しないことが確認されている。 実際、ベースラインのHbA1c 値が高い患者は強化療法によってもHbA1c 値は高いまま保持され、最も高い死亡率を示した。後ろ向き解析よりも強力なデータ を提供する無作為化試験であるACCORD から得られたこの結果は、Currie らの結果および結論とは明らかに矛盾している。
観察研究では、異なる治療法の比較にあたって選択バイアスが主な課題となる。糖尿病では薬剤に対する暴露がその重症度に従って決まるため、この課題は他の疾患以上に問題となり、重症度の影響と治療による影響とを分けて解析することがきわめて困難である。Currie らの結果を解釈するうえでの最大の問題は、2つの試験コホートのベースライン特性が全体的かつ実質的に異なっていた点である。当然ながらインスリン療法を受けている患者は、経口抗糖尿病薬による単剤療法を受けている患者よりも糖尿病の重症度やベースラインHbA1c 値が高く、死亡率上昇と関連することが知られている糖尿病関連合併症を多く有する。Currie らはいくつかの共変量を統計学的に補正し、既知の交絡因子を修正しようと試みているが、低血糖の発現率や重症度、糖尿病性神経障害の既往歴といった修飾因子は解析に含まれないままであった。また、情報が提示されていないが、重要な交絡因子である低血糖が感度解析に含まれていなかった可能性もある。同様のトピックに関して、米国の大規模な後ろ向きデータベース研究6 では、一般化傾向スコアを用いて選択バイアスを減らし、試験コホートのアンバランスを相殺させたという興味深い報告がある。本研究では、インスリン使用が心血管疾患の発症率低下と関連するという逆の結果を得られている。
Currie らは、自分たちの結果はACCORD 試験の結果を支持するものであると述べている。しかし、これら2 つの試験は比較しうるものではなく、特に重要な点としてACCORD 試験ではHbA1c(国際標準値)(中央値)< 6% を達成するための強化療法が採用されており、こうした治療法はかつて臨床試験でも実診療でも試されたことはなかった。Currie らの研究にデータを提供したUK の一般開業医らが、同治療法を適用していないことは明らかである。重視すべきはVADT、ACCORD、ADVANCE の3 つの試験のメタ解析7 において、血糖降下強化療法が死亡率を有意に上昇させることなく、主要な心血管疾患の発現を有意に低下させたことが確認されたことである。これら3 試験の強化療法群では、いずれもインスリンが使用されていた。
結論として、Currie らの後ろ向き研究はコホート間比較が科学的に適切な方法論に基づいておらず、誤っている可能性がある。HbA1c 値と死亡率とのU 字関係に関する結果は、ACCORD 試験のpost-hoc解析によって支持されなかった。よって、Currie らの知見は示唆に富むものの、決定的というよりは仮説を提唱した程度であり、ガイドラインの変更を求める のは行き過ぎであろう。種々の仮説を検証し、さらには患者の血糖値を安全に正常状態に回復させる新しいアプローチ法を検討するための臨床試験の実施が不可欠である。一方、死亡を含むさまざまな合併イベントと血糖値8,9 との間に直線関係が認められることが、疫学エビデンスにより強く支持されている。したがって、われわれ医師が適切なツールや戦略を用いて患者のリスクを回避し、American Diabetes Association 等の組織によって推奨されている目標血糖値を個々の患者において個別に設定するなら、血糖値を下げる努力を行うことは適切といえる。
doi:10.1038/nrendo.2010.69
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