ヒトやハエ、クラゲなどといった複雑な生物が、形態などないように見える卵から生じるのはどうしてだろう。林貴史とR W Carthewの報告によれば、細胞の力学も関係しているのだという。彼らは、ショウジョウバエDrosophilaの網膜が形成される際に、細胞がせっけんの泡の形成を支配するのと同じ物理学法則に従うことを明らかにした。彼らは、細胞のパターン形成における表面力学の重要性を、E-カドヘリンとN-カドヘリンと呼ばれる物質を操作することによって立証した。E-カドヘリンとN-カドヘリンは分子の糊のようなもので、発生中の網膜の細胞を特定の様式で互いに接着させる働きをする。円錐細胞(網膜細胞の一種)群でN-カドヘリンが特異的に発現すると、これらの円錐細胞は、周辺細胞との細胞表面の接触が最少になるような形をとる。つまり、これらの細胞はせっけんの泡が凝集するのと同様の様式でつめこまれるのである。一般的にいうと、円錐細胞群の形づくりとその構成細胞のつめこみの過程は表面の最小化という物理学的傾向を模倣する。こうしてN-カドヘリンの単純な発現パターンは、単に細胞の表面力学的作用により、細胞の複雑な空間的パターンという結果をもたらすのである。