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インフルエンザ伝播の研究は急務である

原文:Natureオンライン掲載)|doi:10.1038/nature10884|H5N1: Flu transmission work is urgent

河岡義裕
東京大学医科学研究所(米ウイスコンシン大学兼務)

インフルエンザのパンデミック(世界的大流行)を防ごうとするなら、哺乳類で伝播する鳥インフルエンザウイルスの研究を継続することが必要だと、河岡義裕が論じている。

1997年、香港で、高病原性H5N1鳥インフルエンザウイルスによる初めての死者が出た。2003年以降、578件のH5N1ウイルス感染例が確認されており、それによる死者数は累計340人に上る(go.nature.com/epb7ts)。H5N1ウイルスは現在、東南アジアおよび中東の一部に広がっており、家禽などの殺処分も含めると何億羽という鳥の命がこれによって奪われている。

現在までのところ、ヒトの間でのH5N1ウイルスの伝播はまだ見られない。専門家の中には、H5N1ウイルスはヒトの間で伝播するようにはならないと考える向きもある。しかし、いったんパンデミックが起こった場合の種々の影響を考えると、これらのウイルスがヒトの間で伝播するようになるかどうかを知ることはきわめて重要である。我々のチームによる研究(Natureで論文受理)、および、エラスムス医療センター(オランダ、ロッテルダム)の Ron Fouchier のチームによる別の研究(Scienceで論文受理)の成果は、H5N1ウイルスが哺乳類において伝播する可能性があることを示唆している。この種の研究を行ったり研究成果を公表したりすることのリスクが議論されているが、私は、高病原性鳥インフルエンザウイルスの伝播に関する研究は緊急の課題として進めるべきだと考えている。

H5N1 avian influenza virus particles
H5N1 avian influenza virus particles

NIBSC/SPL

H5N1ウイルスがヒトからヒトへ伝播する可能性があるのかどうかを見極めるため、私のチームは、H5N1ウイルスのH5亜型の赤血球凝集素(HA)遺伝子と、2009年に世界的大流行をした新型H1N1インフルエンザウイルスに由来するその他の遺伝子とを組み合わせたウイルスを作製した。鳥のH5N1ウイルスと、ヒトで大流行した2009年ウイルスは、実験条件下で容易にハイブリッドウイルスを作る。また、ヒト由来ウイルスの遺伝子はウイルスが哺乳類体内で効率よく増殖するのに重要である。実際、我々は、HAに変異を持つ上述のH5 HA/2009ハイブリッドウイルスが、ウイルスを感染させたフェレット(フェレットは哺乳類でのインフルエンザウイルスの伝播を調べるためのモデルとして使われる)から別のケージに入れた未感染フェレットに、飛沫を介して伝播することを確認した。つまり、H5 HAタンパク質を持つウイルスは哺乳類の間で伝播しうるのだ。

我々の研究結果から、哺乳類において伝播するH5 HAを保有するインフルエンザウイルスがすべて致死的とは限らないことも明らかになった。フェレットでは、我々の調べた変異H5 HA/2009ウイルスの病原性は、2009年にパンデミックを起こしたウイルスと同等もしくはそれ以下で、感染させたフェレットは1匹も死ななかった。また重要なことに、ワクチンや抗ウイルス薬が変異H5 HA/2009ウイルスに対しても有効なことがわかった。

Fouchier のチームも同様に、哺乳類において伝播するH5 HAを持つウイルスを作製した。つまり、H5 HAを持つウイルスがフェレット間で伝播可能なことを、2つのチームが独立に実証したわけである。ただし、Fouchier たちの変異H5 HAウイルスは、H5N1ウイルスを基にして作製されており、感染したフェレットは死亡した。

この種の研究は、研究から得られる恩恵よりも、ウイルスの悪用や事故による漏出などのリスクのほうが大きい、と考えている人々もいる。それに対しては、自然界に広まっているH5N1ウイルスがすでに脅威になっていると反論したい。なぜなら、インフルエンザウイルスは絶えず変異しており、パンデミックを起こして大勢の死者を出す可能性があるからである。前世紀には、鳥由来のインフルエンザウイルスによる「スペイン風邪」のために、2,000万~5,000万人が命を落とした。哺乳類の間で伝播するH5N1ウイルスが自然界で出現する可能性がある以上、その出現のメカニズムを研究しないことのほうが無責任であると私は思う。

今回の研究は、パンデミックに対する備えにも関係してくる。H5ウイルスに対するワクチンの開発・製造・配布を促進させることや、抗ウイルス薬の備蓄を早急に進めることが求められる。今回の2つの研究はどちらも、H5 HAを保有するウイルスがフェレットで伝播するようになるのに必要なHAの変異を明らかにした。これらの変異の一部は、特定の国に広まっているH5N1ウイルスですでに検出されている。したがって、このようなウイルスが哺乳類において伝播するようになった場合に、撲滅活動や対応策(ワクチン株の選択など)を講じることができるよう、こうしたウイルスを厳しく監視することが必須である。

以上のことから私は、今回の2つの研究成果のもたらす恩恵、つまり、H5 HA保有ウイルスに大流行のリスクがあると分かったこと、およびそれらの監視や対応策を可能にすることは、我々の行った研究に伴うリスクを上回ると考える。実験に際して高水準のバイオセーフティーやセキュリティーを確立することは可能である。我々の実験は、封じ込め度の非常に高い施設内で、高度の訓練を受けた少数精鋭のスタッフが、事故によるウイルス漏出を防ぐための厳しい手順に従って行ったものである。

しかし、米国のバイオセキュリティー国家科学諮問委員会(NSABB)は、2つの研究のどちらも詳細な内容(哺乳類間での伝播力を付与する変異など)の公表を限定的な範囲にとどめるべきであり、知る必要がある特定の人々だけに完全な内容を公表すべきだと勧告した。NSABBの諮問機関としての役割は認めるが、私はこの決定には同意できない。

NSABBがこの勧告を正当化する第一の理由は、我々がデータを公表することで、「悪事を働こうとしている人間がこの実験を再現できてしまう」からだという(go.nature.com/nywkdy)。しかし、たとえ我々の論文を特定の情報を公表しないように編集しても、そうした悪用の可能性は排除されないだろう。なぜなら、哺乳類で伝播できるH5 HA保有ウイルスを作るための情報は、現在すでに公表されており、入手可能だからである。

また、米国政府が論文データの公開のために提案している仕組みも簡単ではない。今回の研究内容を知ろうとして何千件もの申請が出されることが見込まれ、申請者の身元確認は管理業務に多大な負担をもたらすだろう。パンデミックの高まる脅威に立ち向かおうとするなら、時間をむだに費やすことはできない。そして、たとえデータ公開のための効率の良い方策が確立できたとしても、科学者たちに長期にわたり秘密保持を強要することは難しいだろう。

むしろ逆に、データを広く配布することで、他分野の研究者が参入してインフルエンザ研究に寄与してくれるはずだ。緊急を要するインフルエンザの課題の中には、解決するために新しいアイデアが必要なものもあるため、こうした新規参入は必要不可欠である。例えば、我々が見つけたいくつかの変異は、インフルエンザウイルスの伝播が予想以上に複雑で、伝播にはHAの受容体結合特異性だけでなく他の生物学的特性や物理的特性も絡んでいることを物語っている。

リスクを低減させようとして我々の論文の原稿を特定の情報を公表しないように編集しても、まともな科学者が実験の情報を得ることが難しくなるばかりで、悪用しようとする科学者に対する防御策にはならないだろう。善用も悪用もされうるという懸念をもっとうまく払拭する方法を見いだすためには、世界各国の研究者たちが集まって、いかにリスクを最小限に抑えつつ科学的発見を促すかを議論すべきであろう。インフルエンザ研究者たち(私も含めて)は現行の議論を踏まえて、鳥インフルエンザウイルスの伝播の研究を60日間中断することに合意した(go.nature.com/ttivj5)。とはいえ、この研究の緊急性は今も変わらない。ここで中止するわけにはいかないのだ。

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